この記事は、 南野陽子「はいからさんが通る」の歌詞の意味を考察します。
1987年に発売されたこの曲は、同時期に彼女が主演した同名映画の主題歌となり、乙女心を巧みに歌い上げて、人気となりました。
それでは、南野陽子「はいからさんが通る」の歌詞の意味を読み解きましょう。
南野陽子「はいからさんが通る」はどんな曲
【はいからさんが通る】
アーティスト:南野陽子
作詞:小倉めぐみ
作曲:国安わたる
リリース: 1987年12月2日(CBS・ソニー)
★チャート最高順位
週間1位、1988年度年間19位(オリコン)
「はいからさんが通る」は1987年12月に南野陽子の10枚目のシングルとして発売されました。
本作はオリコン週間チャート1位を獲得し、彼女の主演で同年に映画化されました。
南野が演じた型破りな『はいからさん』。
情に脆く、はつらつとしたヒロイン像は時代を超えて、たくさんの少女たちに支持されました。
南野陽子「はいからさんが通る」の歌詞の意味を考察
背景は大正時代。
世界中の空を赤黒く染めた戦争に向かう直前、時代のあだ花とも呼ばれる文化爛熟の時代です。
舞台となった東京の街は、アールデコ様式の建物で彩られ、石畳の通りを断髪のモガが闊歩。
海老茶袴に矢絣の少女たちは、良家の奥方として嫁ぐまで、束の間の青春を謳歌していました。
この曲の主人公、紅緒は名もない女学生の一人。
異国の血を引く、最愛の人に出会うまでは…。
しかし、これまでの少女漫画のセオリーを覆し、寧ろ、恋人を失ってからが紅緒の本領発揮といえます。
それをこの歌では、「凛々しさ」というフレーズで、簡潔に繰り返し表現しています。
人として一本、太い筋が通った凛々しさ。
この歌詞からは、紅緒がまだ思春期のさなぎの状態、恋に恋する乙女であっても、いずれ、見る人に硬質な美しさを感じさせる、大人の女性になることを予感させます。
少女漫画の紅緒は、恋人亡き後、キャリアウーマンの先駆けとして、後世の女性の自立への道を切り開いていきます。
この曲でも、まだ初々しい乙女の風情を漂わせながらも、新しい女性像としての片鱗を匂わせています。
彼女は、しおらしく恋人の後ろをついていくことは望んでいません。
同じ歩幅で、ともに同じ未来を見て、その手をしっかりと握って歩んでいきたい。
例え、その未来が、全く予想もつかない、時代のうねりに飲み込まれたものだったとしても、この手のぬくもりがあれば、乗り切る勇気が湧いてくる。
彼女の飾らない言葉ひとつひとつに、さわやかに晴れた青空のような率直な人柄と、確固たる意志が感じられます。
彼女がなりたいのは、ただ傍に寄り添うだけの奥様ではなく運命共同体であるパートナーなのです。
時たま見せる焼きもちも、彼女たちにとっては「はしたないこと」「淑女にあるまじきふるまい」では無く、人間らしい、素直な感情の発露です。
ここに、大正デモクラシー下に生きる若者たちの感性の変化が見て取れます。
軍人の許嫁、伊集院に出会ったことで彼女の人生は数奇な運命に翻弄されますが、もし彼女が伊集院に出会っていなかったら、どのような人生を歩んでいたでしょうか。
伊集院とともに過ごした期間はごくわずかでしたが、この歌詞からは、桜が薫る春も、紅葉が色づく秋も、常に彼女の心の中では、愛する人とともにいたことが伝わってきます。
一人では心細いからと、めそめそしている暇は彼女にはありません。
泣いて落ち込んでいる暇があったら、たとえ海や国境を越えてでも、彼を探しに行こう、自分のもとへ連れて帰ってきてやると思うのが紅緒です。
彼を思う愛情だけではなく、寂しさや切なさ、マイナスの感情からも決して目をそらしません。
そして、彼に出会ったら、思いのたけを全てぶちまけてやろうと決意するのが、紅緒が紅緒たる所以なのです。
だから、傷つくことは、ちっとも恐くありません。
『清く、正しく、美しく』乙女の正義は、真っすぐ素直に、凛とした姿勢に裏付けされたものです。
思い切り涙をながした後は、すがすがしい笑顔になれる幸せが待っている、と今日も信じて。
束髪くずしにアイスクリン、舶来品のドレスに憧れの上級生。
たとえ流行は変わっても、いつの時代も、女の子の胸は、夢と希望、そして少しの不安ではちきれそうです。
この歌を通せば、私たちの母や祖母の青春時代が、もっと身近に感じられるかもしれません…。
まとめ
南野陽子「はいからさんが通る」の歌詞の意味を考察しました。
歌詞に描かれる主人公の女性は、恋する乙女としての純粋なところはありますが、男性に頼って生きていくのではなく、自分を大切にして自立した人生を歩もうとする面も持ち合わせています。
そうした心情を南野陽子を丁寧に汲み取り、瑞々しいモノローグで乙女心を巧みに表現しています。
『はいからさんが通る』の原作の漫画が連載されたのは1970年代後半、これまで少女漫画に縁の無かった男性読者にも好意的に受け入れられました。
作者、大和和紀のさっぱりとした絵柄と読後感もさることながら、ヒロインの逞しさ、懐の広さといった、一人の人間としての魅力が、読者の心をひきつけたのでしょう。
その後、宝塚での舞台化や、テレビでのアニメ放送、そして令和の今でもリメイクされたアニメ映画が作られ、祖母から母、そして娘への世代へと受け継がれています。
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