中村雅俊「俺たちの旅」歌詞の意味を考察!歌われた時代背景は?

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この記事は、中村雅俊「俺たちの旅」の歌詞の意味を歌われた時代背景とともに考察します。

「俺たちの旅」は1975年10月5日から約1年、毎週日曜日20時に放送された、俳優・中村雅俊主演のテレビドラマ「俺たちの旅」の主題歌です。

今ではドラマや映画で味のある“お父さん”“お爺ちゃん”を好演する中村雅俊も当時は20代。

同世代の若者の想いを代弁するかのように、ドラマでは大人になり切れない青年を熱演しました。

そんな中村雅俊の唄う「俺たちの旅」はドラマと同タイトルの主題歌。

それでは「俺たちの旅」を読み解いてみましょう、

中村雅俊「俺たちの旅」とはどんな曲?

【俺たちの旅】

アーティスト:中村雅俊

作詞・作曲 :小椋佳

リリース:1975年10月10日(日本コロンビア レーベル)

オリコンチャート最高順位2位1976年度年間6位

中村雅俊「俺たちの旅」は、累計87.0万枚のセールスを記録した中村雅俊の4枚目のシングルです。

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中村雅俊「俺たちの旅」の歌詞の意味を考察

テレビドラマ『俺たちの旅』は、1975年10月5日~1976年10月10日まで全46話放送されました。

中村雅俊が演じる大学生カースケ(津村浩介)、と田中健が演じる同級生オメダ(中谷隆夫)、秋野大作演じる同郷の先輩グズ六(熊沢伸六)。

そして森川章玄演じる同じ下宿に住む浪人生ワカメ(浜田大造)の友情と青春の物語。

後に「俺たちシリーズ」として続編が制作される記念すべき第1作目のドラマでした。

 

ドラマのタイトルと同様のこの楽曲はこのドラマのテーマにふさわしく、若者が大人への階段を上がる一歩手前、青春のラストスパートのような若者の心が描かれています。

ちなみに青春とは、一般的には中高校生の10代の青少年。

成人を迎える20歳までを青春時代と言われていますが、近年では大学や専門学校など“学生”と呼ばれる世代が長い若者が多いため、親の庇護から離れ自立できる20〜30代までも“青春”とされています。

 

人それぞれですが、自分の生き方を見つけるまでの模索・葛藤の時間が青春なのかもしれません。
中村雅俊は当時の青春ドラマに多く出演しています。

そしてこの彼の唄う「俺たちの旅」の歌詞でも、人生を模索する若者の理想と現実が綴られています。

夢の坂道、長いけれどもまばゆい石畳。

若者も自分の生き方を見付けるまではとても長いと覚悟しています。

その坂道は実際行ってみないとわからないけれど、きっと茨(いばら)の道に繋がっている“だろう”とは思っているようです。

でも、行ける!なんとか行ける!そう思って歩き出したのでしょう。

ところが…白く長い壁に囲まれた石畳の先は…なんと山道。

とりあえず自分なりに必死で歩いてきたのに、振り返れば足跡も影すら何も残っていないように見えます。

何も残さぬまま、何も見いだせないまま、さらに山の中に繋がっています。

 

歳を重ね多くの経験をすれば、その足跡や影は必ず見えてくるものの、今はまだ、それらを確認できる目は持ち合わせていません。

けれど、青春時代は止まることも、後戻りも出来ません。
先に進むことしかできないのです。

この坂道の先は青春のゴール!コバルトブルーの空と海が交わった美しい景色に迎えられると思っていたのに、坂道の先にはもっと険しい“山道”の存在。

ゴールではなかった事に気づきます。今の時点では「俺、頑張ったじゃ~ん!」と輝く星を自分に見立て自画自賛し自分を慰めるしかありません。

青春時代は、まだ自分の道を歩き出したばかり…、先は長いのです。

とはいえ、若者にとって今生きた分が人生の全て、人生のキャパは今の時点がMAXです。

これから先など想像できるわけもありません。

歌詞に出てくる「背中の夢に浮かぶ小舟」。

浮かんだ小舟にいるのは、親や家族、恋人か?仲間か?気づかないフリをしていたけれど、守られてきた暖かい場所を改めて認めたのかもしれません。

夢、その記憶の中では、夕日が射して少し小麦色にみえる、まもなく収穫期を迎えるスイカ畑の広がる道で、芽吹き、育ち、花を咲かせた遅咲きのスイカの花に自身の半生を重ねます。

これから実になるには、うたた寝で夢と現実を行き交いながら、一日一日と少しずつ大きく熟していくために時を重ねなくてはなりません。

今も夢の小舟から大切な誰かが手を振って進む道を応援し、帰る場所はここだ、疲れたら帰ってきていいんだ、といつも見守ってくれていることを御守りにして大人へと進んで行きます。

学生から社会人へと巣立ち、世間の荒波に立ち向かう若者は、もう小舟から一回り大きな船に乗り換えなくてはなりません。

 

小さな小舟では身の回りの人しか乗ることはできませんが、人生の荒波では様々な人が様々な問題を抱え乗り込んで来きます。

今までの小舟と決別し、新しい船に乗り換える…どんな船に乗り、どこへ舵を切るか?

その判断をするのが青春の坂道なのかもしれません。

それは1970年代の若者に限ったことではありません。

青春の坂道は、どんな時代のどんな若者も通る坂道です。

時代が流れ、その時々、人それぞれの矛盾や苦悩を抱え誰もが坂道を駆け上がります。

誰の心にもある「夢の小舟」、人生の分岐点で何度船を乗り換えても、あの暖かい夢の小舟を忘れるとはないでしょう。

ドラマでも社会に出た主人公と仲間たちは社会の慣習や人間関係に矛盾を感じ悩み、自分達の力で自分達の居場所を作り上げようとします。

当然、波乱万丈…それでも彼らは自分達のスタイルで道を進んで行きます。

当時、同世代の若者たちには主人公の姿を自分の代弁者のように感じ、社会に流されず許されるなら、彼らのように自由に生きたいと憧れたのでしょう。

昔も今も、若者は青春の坂道で躓いて傷ついて苦悩して…大人になります。

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中村雅俊「俺たちの旅」の流行った1975年(昭和50年)とは?

「俺たちの旅」のドラマがスタートし、同名タイトルの曲が発売された頃、世界は近代化を猛進していたとはいえ、まだ戦争やクーデターなどが溢れていました。

日本社会も昔ながらの体質が抜けきらない世代と、新しいものを受け入れる世代が入り混じっていました。

大学の進学率が上がり“学生”という大きな子どもたちは、これからの未来について議論をしていた時代です。

古き良き日本にはなかった自由が許される時代、生き方も選べる時代となりました。
そんな中で、若者、青春は自由の象徴だったのかもしれません。

ドラマだけではなく、映画や文学にも“青春”というキーワードが多く使われた時代でした。

中村雅俊とは…

中村雅俊は1951年(昭和26年)、宮城県出身。大学に通いながら1973年文学座附属演劇研究所に入所し、卒業するとそのまま文学座に入団。

翌年、新人ながら青春ドラマ『われら青春!』の主役に抜擢され人気となりました。

その時も自らが唄うドラマ挿入歌『ふれあい』が100万枚を超えるセールスとなり大ヒット。

その後も「心の色」「恋人も濡れる街角」「想い出のクリフサイドホテル」などの楽曲を発表。俳優だけでなく歌手としての地位も確立しました。

 

中村雅俊は青春ドラマで確固たる人気を得ましたが、正直なところ銀幕の大スターのような華やかさや雲の上の存在のような特別感は薄く、どちらかと言うと近所の気のいいお兄さんのような親近感があります。

少しタレ目で、はにかむ笑顔、憎めない熱血漢。そんなさりげない風貌が時代に受け入れられたのです。

プライベートでは1977年ドラマや映画で共演した五十嵐淳子と結婚。五十嵐は当時グラビアでも女優でも大人気。まさかの“デキ婚”で双方のファンに衝撃が走りました。

美しい妻と一男三女に恵まれ、さらに家庭的な温かいイメージとなった中村雅俊は、役者としても良き“お父さん”役を好演しています。

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まとめ

この記事は、中村雅俊「俺たちの旅」歌詞の意味を歌われた時代背景とともに考察しました。

1975年に放映された「俺たちの旅」は、その後当時のファンの熱い要望に応えるように1985年に「俺たちの旅 十年目の再会」、1995年「俺たちの旅 二十年目の選択」。

そして、2003年「俺たちの旅 30年SP 三十年目の運命」とスペシャルドラマとして続編がテレビで放送されました。

 

「俺たちの旅」1作目を楽しんだ人々も主人公のコースケと共に成長し、今ではコースケ同様に壮年期となっているでしょう。

もう、子ども、そして孫が“青春”を旅している頃です。ドラマの主人公と共に人生を歩けるとは嬉しものです。

今も中村雅俊は俳優として歌手として活動を続けています。

青春が自分の歩く道を模索する時期であるならば、大人になっても自分の人生の可能性にチャレンジしているのなら、それは今でも青春です。

いつまでも青春を歩き続けていたいものですね。

 

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