この記事は、光GENJI「ガラスの十代」の歌詞の意味を考察します。
光GENJIを代表する1987年に発売されたこの曲の作詞作曲は飛鳥涼、CHAGE&ASKAのASKAです。
当時、彼らがローラースケートで踊り、バク転するパフォーマンスは大人気でした。
それでは、光GENJI「ガラスの十代」の歌詞の意味を読み解きましょう。
光GENJI「ガラスの十代」はどんな曲
【ガラスの十代】
アーティスト:光GENJI
作詞・作曲:飛鳥涼
リリース: 1987年11月26日(ポニーキャニオン)
★チャート最高順位
週間1位(通算6週)、1987年12月度・1988年1月度月間1位、1988年度年間2位(いずれもオリコン)
光GENJIは、1980年代後半から1990年代前半に活躍した男性7人のアイドルグループです。
「ガラスの十代」は1987年11月に光GENJIの2枚目のシングルとして発売されました。
発売後すぐに人気に火がつき、オリコンのシングルチャートでは1987年12月、1988年1月の月間1位、1988年度の年間ランキングでも2位となり、売上枚数は67.3万枚を記録しました。
「ガラスの十代」は「パラダイス銀河」「太陽がいっぱい」「Diamondハリケーン」などと並び光GENJIの代表曲のひとつです。
光GENJI「ガラスの十代」の歌詞の意味を考察
「ガラスの十代」は、光GENJIをイメージして作られた曲だそうです。
「こわれそうなものばかり集めてしまうよ」は、とても有名なサビですがこの歌詞では何を意味していたのでしょうか。
考察していきます。
タイトルの「ガラスの十代」が表すように10代の心の脆さを歌うこの曲ですが、歌詞の内容では付き合っていた彼女に素直になれず別れの言葉「さよなら」と言ってしまった。
でもそれは嘘で、間違い。本当は別れたくない。
彼女もじゃあ別れる!と心にもない事を返してしまった。
まだ大人の恋愛も分からないお互いだからこんな事をしてしまう時もある。
「何も解らない同士」、同じ10代の彼女だということが分かります。
少しの事で傷付いて少しの優しさにも感動する多感な年頃の2人なのです。
そんな年頃の事をここの歌詞で「季節」と表現しています。青春時代、と言うところでしょうか。
ひとつの言葉で心が左右されるし、今の人間関係は大人になってからも続くか分からなくて不安になったりする。皆そんな頃を過ごして来たと思います。
そんな心を「光と影を行ったり来たり」すると言う言葉で書いています。
友達も恋人も自分と同じ10代で「こわれそうなもの」としてお互い接するのですが、今の気持も人間関係も自分にとって本物なので輝くもの、「飾り」ではない大事なものです。
でも偽物ではないが壊れやすい。宝物のように輝くけどダイヤモンドのように固く無いもの。
心の脆さと純粋さを「ガラスの十代」と表したのですね。
2番では泣いてしまった彼女に「僕だって強くない」と言っています。
この歌の掛け声がまるで自分の心の中を表現しているようですね。
僕がうっかり言ってしまった事で(これ以上)泣かないで欲しい、そんなに強く無い自分が(やるせない)、失敗したって成長していくのが今の自分たちのやるべき事だから・・。
(気にしない)でどこまでもやっていこう、今の気持ちを(忘れず)に一緒に成長して行こう。
たくさん君も傷付けてしまったし、自分も傷付いたけど、ぎこちなくてもこの愛は本物なので君を守りたい・・、という前向きに成長して行こうという強さが伝わります。
ガラスの十代の曲の中には間奏でガラスが割れる音が入っているものもあります。
彼らの心が不安と失敗で割れてしまってるんだろうか、と思わせるような表現です。
その後の歌詞は前向きに「心に嘘はない」君を失くさないと続きます。
冒頭の歌詞では素直になれず心にも無い事を言って彼女の事を泣かせましたが、間奏中に沢山の心のガラスを割って傷つき、歌で成長していく様子が書かれている。
素晴らしい表現の1つだと思います。
このように「こわれそうなもの」とタイトルの「ガラスの十代」は脆さと純粋さを表す多感な時期の頃を表す言葉でした。
ダイヤモンドのように強固なものではなく、輝くけど壊れやすいもの。
青春時代をガラスと表現したのは秀逸ですよね。
現在にも思春期を表す言葉のひとつに中二病や厨二病と言う言葉があります。
大人びた事をしてみたり、自分は特別な存在なんだと思ったりする時代があるというネットスラングではありますが、大人に憧れながらもまだまだ子供のところがある時期。
多感な時期を表す言葉としては同じだと思います。
よく分からなくて悩んだり子供から大人になる過程で誰もが過ごして来る時期だからこそどの年代でもこの曲に共感するのかもしれません。
10代の頃、リアルタイムで聴いて共感した人も、大人になってからこの曲を聴いても当時傷ついたりしたことを思い出したりすることでしょう。
そして、大人になったからこそ歌詞の深い意味が分かるのではないでしょうか。
まとめ
光GENJI「ガラスの十代」の歌詞の意味を考察しました。
筆者は改めてこの曲を聴き直すと、十代の頃の瑞々しさ、繊細さ、そして素直になれないもどかしさのようなものを思い出しました。はるか彼方の昔のことですが・・。
この曲が発売された当時、光GENJI自身もほとんどが10代だったと思います。
多忙な時期で彼らも悩んだり落ち込んだり疲れていたりしていたことでしょう。
ASKAさんは彼らの応援歌としてもこの曲を作ったのかも知れません。
また、現在でも甲子園球場で行われる高校野球の応援曲としてブラスバンドがこの曲を演奏するのを耳にします。
現代の高校生もこの曲と歌詞に共感するのかと思うと単なるアイドルソングという枠には収まりきらない、奥深さを感じさせてくれます。
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