この記事は、井上陽水「いっそセレナーデ」の歌詞の意味を考察します。
1984年に発売されたこの曲は、独自の世界感と、力強さの中に優しさを感じさせてくれる甘い歌声で多くの人々を魅了してきました。
それでは、井上陽水「いっそセレナーデ」の歌詞の意味を読み解いていきましよう。
井上陽水「いっそセレナーデ」はどんな曲
【いっそセレナーデ】
アーティスト:井上陽水
作詞・作曲:井上陽水
リリース: 1984年10月24日(フォーライフ・レコード)
★チャート最高順位
週間1位、1985年度年間31位(オリコン)
福岡県出身のシンガーソングライター、井上陽水は、1969年にデビューしました。
当時の芸名は、アンドレ・カンドレ。
その後、本名の井上陽水(いのうえあきみ)の表記は変えず、下の名前だけ“ようすい”という訓読みにして、芸名を改めます。
1984年に発売した「いっそセレナーデ」は、彼の23枚目のシングルです。
この曲は、彼自身が出演したお酒の宣伝のイメージソングに起用されました。
井上陽水「いっそセレナーデ」の歌詞の意味を考察
まず1番では、この歌の主人公が、過去に別れた恋人との記憶を思い出すところが描かれます。
しかし、その記憶は、特に何か思い出すきっかけがあった訳でもなく、唐突に心に甦ったもの。
そんな主人公の心の中で、あの頃よく聞いた懐かしいメロディが流れ始めます。
それは、「セレナーデ」。
心の中だけに流れるその曲に耳を傾けて、今夜くらい昔を懐かしむのも良いだろうと、主人公は思います。
しかし、その記憶は、良いことばかりではありません。
何より今、かつて愛した人は、隣にはいないのです。
だから、心に流れる曲も哀調を帯びています。
それが、まるで過去の恋愛の古傷に寄り添うかのように聴こえるので、余計に胸に浸みて来て、泣きたくなってくるのでしょう。
2番では、主人公はその恋人と別れて間もない頃を思い出します。
別れた直後は、知人を通して、相手のその後の様子を伝え聞くことも出来ました。
しかし、今ではもう、それを耳にすることもありません。
“あの人は、今、どうしているのか。幸せに過ごしているだろうか。”
そんな疑問が自然と湧いて来ます。
今のあの人を知ることが出来ない以上、甦る記憶の中の相手は、愛した昔の姿のまま。
それを再び心に描くと、まるであの頃に戻ったかのような錯覚を覚え、記憶の中の相手に対して仄かな恋心が灯ります。
“嗚呼、あの頃に帰れるものならば、帰りたい。”
しかし、それは叶わぬ願い。それ程までに、あの頃と今とでは、長い年月の隔たりがあるのです。
そうなるともう、懐かしい記憶に浸るしかありません。
幸い、明日も仕事などの予定が詰まっていて、忙しくなりそうです。
そうやって、忙しく過ごしているうちに、主人公はきっとまた今という日常へと意識の焦点を合わせていくことでしょう。
ならば、思い出に浸れるのも今夜限り。
“ここは潔く、甦る記憶とその想いに身も心も委ねよう。”
そう思う主人公。その心には、あの切ない曲が流れ続けています。
この歌は、以上のように、過去の恋人の記憶を、日常のふとした瞬間に思い出し、それを懐かしみ、時にその切なさに涙するという大人の一夜を描いたものです。
人は、疲れた時や体調が悪い時、或いは大きな仕事をやり遂げて一息ついた時などに、ふと昔のことを思い出すことがあります。
そして、センチメンタルな気分になって、とっくの昔に区切りをつけた過去の恋愛のことなどを思い出しては、ふと、久方ぶりにその相手の名を呟いたりするのです。
でも、その名は口にしても、もうそこに恋愛感情は宿っていません。
この歌の歌詞にある、昔の相手の姿を思い出して再び灯った恋心も、おそらく明日になれば消えていることでしょう。
それで、良いのです。
忙しい日常に、時折訪れる、そんなセンチメンタルな気持ちは、もしかすると心身を休めなさいというサインなのかもしれません。
そういう時は、下手に抗わず、この歌のように、その記憶にどっぷり浸り、そのまま眠りにつくのがお勧めです。
それに考え方によっては、そんな夜を味わえるのは、人生経験豊富な大人の贅沢な気もします。
皆さんも、次にこのような気持ちが訪れた時には、この歌を聞いてみてはどうでしょうか。
きっと疲れたその心に寄り添ってくれると思いますよ。
まとめ
井上陽水「いっそセレナーデ」の歌詞の意味を考察しました。
この歌の主人公が、日常のふとした瞬間に過去に別れた恋人との記憶を思い出すし、切ない気持ちになります。
しかし、そこには恋愛感情はなく、センチメンタルな気持ちになった自分を冷静に見つめています。
大人としての懐の深さを感じさせてくれる歌詞の内容でした。
ところで「セレナーデ」とは、夜に男性が愛する女性の住む部屋の窓の下で、その想いを切々と歌い上げるものです。
しかし、この歌の主人公が必ずしも男性であるとは言い切れないと思います。
もちろん、この歌を自ら作詞作曲し、歌っている井上陽水も男性なので、この歌の主人公は男性だと考えてしまう人もおられるかもしれません。
この歌の場合、主人公の性別を明らかにする必要はないと思います。
何故なら、こんな風に昔の恋愛経験を思い出して、溜め息をついたり、涙したりする夜は、性別関係なく、大人なら誰にでも訪れるものだからです。
それこそが、この歌が多くの人に愛される理由なのではないでしょうか。
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