中森明菜「飾りじゃないのよ涙は」の歌詞の意味を考察!井上陽水作詞の魅力

昭和歌謡
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この記事は、中森明菜「飾りじゃないのよ涙は」の歌詞の意味を考察します。

井上陽水により提供され、1984年に発売されたこの曲は「セカンド・ラブ」「ミ・アモーレ」と並び中森の代表曲の一つです。

それでは、「飾りじゃないのよ涙は」の歌詞の意味を読み解きましょう。

中森明菜「飾りじゃないのよ涙は」はどんな曲

【飾りじゃないのよ涙は】

アーティスト:中森明菜

作詞:井上陽水

作曲:井上陽水

リリース:1984年11月14日( ワーナー・パイオニア)

★チャート最高順位  週間1位(オリコン)、1985年度年間6位(オリコン)

「飾りじゃないのよ涙は」は1984年12月、中森明菜の10枚目のシングルとしてリリースされました。

発売直後から人気に火がつき、1985年のオリコン年間チャートでは6位、シングル販売枚数は51.5万枚の大ヒットとなりました。

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中森明菜「飾りじゃないのよ涙は」の歌詞の意味を考察

井上陽水の作詞・作曲により作られたこの楽曲は、ストーリーテラーの井上らしい、衝撃的なフレーズで始まります。

 

「私は泣いたことがない」

鈍いエンジン音と同時に充満するガソリン臭、むせかえるような煙草の臭い。

少女の呟きに、ちらりと横目で盗み見る男の目には、好奇心と解せない疑問がちらついています。

後ろの席では、若い男女がひしめきあい、缶ビールを片手にひっきりなしに嬌声をあげています。

 

「聞こえなかった?嫌いじゃないって言ったの。あんたの煙草の臭いも、オンボロの車の臭いも。ちょっと薄汚れてるほうが性に合うのよ」

ボロで悪かったな、男の憎まれ口を聞き流し、ふーっと長い溜息をつくと、少女はシートに深くもたれかかりました。

 

あたしは、次々と街灯を追い越していく景色が好きなの。夜風に頬をなぶられながら、それを眺めるのが好きなの。

 

この歌の少女は、中森がこれまで歌ってきた少女たちのように、挑発的な言葉でけしかけることも、強がりで戸惑いを隠すこともなく、ただ凪いだ海のような心を静かに見つめています。

 

彼女にとって、友人も恋人も端的に言えば、社会で生きていくためのビジネスツールです。

来るものは拒まず、去る者は追わず。

罵られ絶交されても、そこにウェイトを置いていない以上は、侮辱された苛立ち以外に感じるものはありません。

薄情に聞こえますが、それは彼女が身につけた処世術であり、身を護るすべでもありました。

 

教室で甲高い声をあげて、無邪気にはしゃぐ女の子たち。

少女は、彼女たちが獰猛な牙を隠し持っていることを知っています。

ふんわりしたパステルカラーの砂糖衣(さとうごろも)にくるまれた牙は、致命傷を与えるには十分な攻撃力を持っています。

 

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少女に牙はありません。両手をぎゅっと握ってこぶしを作れば、そこには薄桃色の小さな可愛らしい爪があるだけです。

制服を脱ぎ捨て、まばゆい赤で爪を染めれば、いつでも夜の街は両手を広げて、彼女を迎え入れてくれました。

しかし、彼女はいつしかそれが幻想であることに気づきます。

 

じゃあ、私の居場所はどこにあるの。

ポインテッドトゥのつま先がじんじん痛み、喧騒はひと際、耳障りで、薄く作ってもらったはずのジンライムは、喉から胸にかけて焼けるように熱く感じます。

フロアにしゃがみこんでも、誰も彼女に声をかける人はいません。

ただひたすら、彼女は涙があふれそうになるのをこらえ、荒い呼吸をするほか手立てが無いのです。

 

彼女のいう「泣いたことが無い」という言葉は、実際は何を意味するのでしょうか。

涙と一口に言っても、そこにはいろんな感情があります。絶望、怒り、感動、寂しさ、慈愛。

 

彼女が求めているのは、これまでの自分をばらばらに打ち砕き、再構築するための存在です。

蝶のさなぎは、硬い殻のなかで自分の細胞の全てを溶かし、全く別の生き物に生まれ変わることで、その殻を破ります。

 

今の少女は、いつまでも蝶になれない、さなぎの姿ともいえます。

混沌とした体をかかえ、誰かに美しい蝶にしてもらえるのを心待ちにしている、そんな女の子です。

 

この歌に登場する、まだ見ぬ「恋人」は、まさにこれまでの彼女を壊し再生させる鍵なのでしょう。

何度も繰り返される「私は泣いたことがない」というフレーズには、長きに渡って自分を追い詰めてきた重みが感じられます。

 

彼女が涙を流す時、それは縛り付けていた鎖を断ち切り、無数の傷を負った心を解き放つ瞬間です。

愛しているからこそ怖い。剝きだしのいびつな心をみられるのが怖い。

その恐怖にとらわれている限りは、彼女は永遠に涙を流せないままです。

 

初めて流す涙の予感、それは彼女の心の奥底からこみ上げる魂の叫びなのかもしれません。

氷柱が雫となって滴り落ちるように、ありのままの自分を求める愛に触れた時、蓄積された心の澱は涙となって溢れ出すのでしょう。

女性が泣く姿というものは、ドラマや少女漫画のように、決して人の心をうつような美しいものではありません。

それは時にグロテスクで、見る者に怒りや苛立たしさを呼び起こさせるものでもあります。

 

彼女は涙を「悲しすぎるもの」と表現しましたが、心許せる、本当に愛せる人だからこそ、自分の弱さ、脆さをさらしたのに。

嫌悪感を持って拒絶されることの残酷さ、分かり合えない心の壁を、私たちに伝えたかったのではないでしょうか。

 

それでも彼女は、まだ希望を捨てていません。

いつか、少女の世界が変わる時、その時に流した涙は宝石のように美しいと、願わずにはいられないのです。

 

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まとめ

中森明菜「飾りじゃないのよ涙は」の歌詞の意味を考察しました。

デビュー当初から、明るく可愛らしいアイドル達と一線を画し、大人びた翳りを武器として第一線を走り続けた中森。

井上陽水が手掛けたこの曲は、まさに中森の真骨頂ともいえる一曲に仕上がりました。

当時19歳だった中森にとって、大人になりきれない葛藤や諦めを描いたこの歌は、大人たちによってプロデュースされた少女像と違い等身大の自分に寄り添うものではなかったのでしょうか。

 

「飾りじゃないのよ涙は」はこの楽曲を手掛けた井上がセルフカバーした作品もあります。

こちらはダンディズムにあふれたクールな印象です。

動画サイトで聴き比べるのも面白いと思います。

 

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