この記事は、岩崎宏美「聖母たちのララバイ」の歌詞の意味を考察します。
社会で戦士として戦う男たちに無償の愛を注ぐこの曲は彼女の代表曲の一つです。
優れた歌唱力と歌詞に心が癒されます。
それでは、岩崎宏美「聖母たちのララバイ」の歌詞の意味を読み解きましょう。
岩崎宏美「聖母たちのララバイ」はどんな曲
【聖母たちのララバイ】
アーティスト:岩崎宏美
作詞:山川啓介
作曲:木森敏之、John Scott
リリース: 1982年5月21日(ビクター音楽産業)
★チャート最高順位
週間1位(4週連続)、1982年度年間3位(オリコン)
「聖母たちのララバイ」は1982年5月に発売された岩崎宏美の28枚目のシングルです。
発売されて2週間でオリコンのシングルチャート1位に記録されるなど爆発的な勢いで人気を博しました。
そして、1982年のオリコンのシングル年間ランキングでは3位、売上は78.5万枚を記録する大ヒットとなりました。
岩崎宏美「聖母たちのララバイ」の歌詞の意味を考察
この歌は、主人公の女性の元へ、恋人である男性が仕事で心身共にくたくたになって帰って来るところから始まります。
この男女がまだ夫婦ではなく同棲している恋人同士であることは、2番の歌詞「ある日あなたが 背中を向けても」から分かります。
このような言葉が出るということはまだカップル解消が気軽に出来る結婚前だからです。
更に、1980年の平均初婚年齢が男性は27,8歳、女性は25,2歳なので、ここから逆算すると、おそらくこの歌の男女は20代初め~半ばだと推測されます。
さて、疲れ果てた男性は、すぐに布団に倒れ込み寝てしまったことでしょう。
それでも、女性は何も言わず、その労をねぎらいます。
彼は既に寝息を立てて夢の中。その無防備な寝顔を見て女性の心に母性が湧き上がります。
しかし、いくら母性が刺激されたとはいえ「ああ できるのなら 生まれ変わり あなたの母になって 私のいのちさえ 差し出して あなたを守りたいのです」と願うのはいささか行き過ぎている気がします・・。
しかし、この重たい異様な感じは当時の働く若い男性の置かれた環境を考えると理解しやすくなります。
この歌が発表されたのは1982年。
もちろんこの頃にも働く女性は一定数いたでしょうが、一方で家庭こそ女の居場所という保守的な考えが強かった時代でもあります。
となると、働き手の多くは男性。
サビでも「この都会は 戦場だから 男はみんな 傷を負った戦士」と歌われています。
日本人は勤勉ですから、当時のサラリーマンは皆、仕事に全力で取り組んでいました。
この頃の日本にはそもそもブラック企業なんて言葉はありません。
残業が多いのも、上司のパワハラも日常茶飯事で、その働き方に疑問を抱く人は少なかったのです。
更に能力より年齢が会社組織を形作る上で重視されていたので、20代前半の若い男性はまだまだ下っ端。
上司に失敗を指摘されて怒鳴られたり、使い走りにされたり、心身の疲労が溜まりに溜まっています。
そんな彼を毎夜遅く家に迎える彼女は、彼のことが心配でたまりません。
このままでは体を壊してしまう。現に「青いそのまぶたを」とあるように彼の顔色は優れません。
そんな彼を見続けて湧き上がった思いが例の母性の心でした。
しかし、いくらその願いが叶って実際に彼の母親になれたとしても、彼を取り巻く過酷な労働環境を変えることは出来ません。
そんなことは彼女も分かっています。
ある日、彼は、彼女の前で泣いてしまいます。
その涙は特別でした。何故ならこの時代、涙は男性のものではなかったからです。
1976年発売の河島英五の名曲「酒と泪と男と女」。
この歌は、女には泣くというストレス解消法があるからいいけど、男というのは涙を見せぬもの、だから酒に頼るしかないのだというような内容でした。
この感覚は6年後の1982年でも変わらず、男は泣くな、そんなのは女のすることだという考えが強かったのです。
なのに「聖母たちのララバイ」の男性は泣いてしまった。
その背後にはそれ相応の辛くて苦しい何かがあったのでしょう。
それを女性も察します。その時、彼女は決心します。
それは「聖母」になることでした。
「聖母」といえばキリストの母マリア。
新約聖書では、愛にはエロス、フィリア、アガペーの三つの形があると説いています。
まずエロス、これは一般における恋に相当するもので自分に欠けた何かを相手に求める上で発生する愛のことを言います。
次にフィリアですが、これは友情のようなもの。
そして三つ目のアガペー、これは代償を相手から一切求めない無償の愛のことで、全能の神が人間に注ぐ慈愛を言います。
この新約聖書の言葉を借りるなら、歌の主人公の女性は彼の涙を見て、その愛をアガペーの状態に変えることにしたのです。
だから、もし彼が自分の元から去っても「あなたを遠くで見つめ」、ただその幸せを祈り続けると言い放つことが出来るようになったのです。
これは一つの奇跡、究極の愛の境地です。
けど、その「深い愛」の境地に達せられる女性はそう多くないはず。
そう考えるとこの歌は重いどころか、深く尊い歌と言えると思います。
まとめ
岩崎宏美「聖母たちのララバイ」の歌詞の意味を考察しました。
以前、テレビで、令和の若者は昭和のヒットソングの歌詞を見て、どう思うのかという街頭インタビューを観ました。
その中で、ある歌の歌詞に20代の令和の若者たちはドン引き。
「いくら相手のことが好きでもここまでは思わない」「重い」と。
その歌こそ岩崎宏美の「聖母たちのララバイ」でした。確かにそう思われても仕方がないのかもしれません。
昭和と令和では恋愛についての考え方も大きく違っています。
この歌は、代償を相手から一切求めない無償の愛のことを表現していると説明したら令和の若者は理解していただけるのでしょうか?
聞くのが少し怖い気もしますね・・。
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