この記事は、山口百恵「いい日旅立ち」の歌詞の意味を考察します。
数ある山口百恵のヒット曲の中でも特に人気のある「いい日旅立ち」。
人生の節目にこの曲を聴くと心に響く昭和の名曲です。
それでは、山口百恵「いい日旅立ち」の歌詞の意味を読み解きましょう。
山口百恵「いい日旅立ち」はどんな曲
【いい日旅立ち】
アーティスト:山口百恵
作詞・作曲:谷村新司
リリース: 1978年11月21日( CBSソニー)
★チャート最高順位
週間3位、1979年度年間20位(オリコン)
「いい日旅立ち」は1978年11月、国鉄のキャンペーンソングとしてリリースされました。
谷村新司が手掛けた叙情性溢れる詞と、山口百恵の深みのある歌声は、たちまち聴き手の心を鷲掴みにしました。
1979年のオリコンの年間ランキングでは20位、この年の売上は52.7万枚を記録しました。
そして、今も世代を問わず愛される名曲となりました。
山口百恵「いい日旅立ち」の歌詞の意味を考察
卒業式など式典で歌われることが多いこの曲ですが、谷村自身はそのことについて「決して晴れがましい門出の曲として書いたわけではない」と、難色を示しています。
彼の真意はどこにあるのでしょうか。
歌詞を考察することで、この歌に託された本当の意味を確かめていきましょう。
主人公が最初に降り立ったのは、身も心も凍えそうな、一面、雪景色の北の大地です。
春の訪れを知らせるのは、水気をたっぷりと含んだ重い『ぼたん雪』
大きな塊が牡丹の花を思わせることや、ぼた、ぼた、と落ちる様から『ボタ雪』と名付けられたなど、諸説あります。
主人公はもう若くはありません。
自分の残りの人生を逆算できるほどには、齢も経験も重ねています。
肉親をはじめ、数人の旅立ちを見送り、もしくは仲たがい、もしくは何が原因となったわけでもなく疎遠になった人がいる。
男に家庭はあったのでしょうか。
自分の身の丈には合わない、と、最初から遠ざけてきたのかも知れません。
しかし、人生の折り返し地点を経た今、彼は人の温もりを求め、旅に出ようとしています。
嫌というほど孤独を知ったからこそ、幼子のように素直になれたのかもしれません。
彼の胸をさすらうのは、何も知らない故に幸福だったあの頃。
母に手を引かれ、仰ぎ見た夕焼け空だったのです。
やがて時は巡り、南に向かうにつれ、木々は青々と葉を茂らせ、花は至る所で甘い香りを撒き散らします。
しかし、男の胸には、鉛のような澱が沈んだままです。
その目の前を、麦わら帽子の少年が駆け抜けていきます。
日に焼けた浅黒い肌に、荒い息づかいとともに覗く真っ白い歯。
バケツの魚をびしゃびしゃと跳ねかしながら、背丈よりも高い青ススキのなかに消えていく姿は、生命力の塊そのものでした。
その姿は、なお一層、男の寂寞たる思いをかきたてます。
過ぎ去った時は帰ってこない。
歯嚙みしながら男は、棒切れを手に取ります。
砂に書いたメッセージは、打ち寄せる波が消し去りました。
男は、飽きるともなく、とりつかれたように何度も『さよなら』と綴ります。
俺は何に別れを告げているのだろう?
かつて愛しあい、すれ違い、憎みあった女か。違う。
互いにわだかまりを抱えたまま、先立たれた両親か。違う。
無邪気に親友だと信じていたあいつのことか。違う。
志半ばで葬った、青臭い夢の話か。違う。
空っぽで、しみったれて、妥協の積み重ねで今日まで生きてきた、俺の人生そのものか?
それも違うな。
男は棒切れを放り捨てます。
全く、馬鹿馬鹿しい。
しかし、男は歩みをとめることはしません。
例えるなら、どこまでも続くあてのない暗闇に、道しるべのようにほの白く光る月。それが男の希望です。
俺も全く諦めが悪い。
はるか彼方に見える羊雲は、秋の訪れの証です。羊雲が浮かべば、翌日に雨が降る、とも言われています。
亡き父によく似た声色の、男の鈍く低い口笛は、湿った風に運ばれて8月の空へと飛んでいきました。
いつ終わるともしれない旅、それはいつ終わらせることもできる旅でもあります。
「今日は死ぬにはいい日だ」
最期ぐらい誰にも迷惑をかけず、自然に抱かれ、眠りたい。そんな思いで旅に出たはずでした。
しかし、いつからか、その目的は、自分の命の原点と、人の温もりを渇望し、追い求める旅に変わっていきました。
鳥肌が立つほど嫌悪していた家族という言葉。
もがいても、もがいても、ずぶずぶと男を飲み込んでいく、血の縁(えにし)という名の沼。
自分もいつか、晩年の父親と同じ、背中を丸め、野良犬のような眼をして生きるようになった。
かつて愛した女は、母親そっくりの仕草で、嗚咽を押し殺し、いつも静かに泣いていた。
どうしようもない親だった。
そんなどうしようもない親が、今はひたすらに愛おしい。
不器用な人だった。不器用だからこそ、ありったけの愛を、調子っぱずれな歌に乗せて、注いでくれた。
広く大きな背中だった。
ふくよかで温かな手をしていた。
優しい、涙で潤んだ眼をしていた。
俺もまだ見ぬ誰かの手を握る時が来るのだろうか。
俺が口ずさむこの歌を、親父とお袋が託したこの歌を、まだ見ぬ誰かが歌う日が来るだろうか。
俺はもっと生きたい。
人を愛し、愛されたいんだ。
ぼろぼろと涙をこぼし、顔をくしゃくしゃに歪ませながら、男は南に向かい、また一歩、力強く足を踏み出します。
人生は死という終着点へと向かう、後戻りのできない旅です。
彼が探す「しあわせ」は、もうすでに、彼の中に息づき、芽吹いているのかもしれません。
まとめ
山口百恵「いい日旅立ち」の歌詞の意味を考察しました。
この曲のメロディーと山口百恵の深みのある歌声は美しく今でも聴き入ってしまいます。
一方、歌詞はこの曲を作った谷村新司のコメントのとおり、よく読むと必ずしも晴れがましい門出の歌のようではないようです。
筆者は、ある程度の年齢を経て、さまざまな苦労や挫折の経験のある男性がこのままではいけないと再び立ち上がり、幸福を探すために旅に出るという内容に解釈しました。
あなたにとって「いい日旅立ち」はどのような意味を持ちますか・・。
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