山口百恵「秋桜」の 歌詞の意味を考察!さだまさしの作詞が泣ける | カモシカおやじの趣味ブログ

山口百恵「秋桜」の歌詞の意味を考察!さだまさしの歌詞が泣ける

昭和歌謡
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この記事は、山口百恵「秋桜」の歌詞の意味を考察します。

「さよならの向う側」「いい日 旅立ち」「プレイバック Part2」などと並び山口百恵の代表曲の一つです。作詞作曲は、あの有名なさだまさし。

それでは、山口百恵「秋桜」の歌詞の意味を読み解きましょう。

 

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山口百恵「秋桜」はどんな曲

【秋桜】

アーティスト:山口百恵

作詞・作曲 さだまさし

リリース: 1977年10月1日(CBSソニー)

★チャート最高順位
週間3位、1977年度年間35位(オリコン)

「秋桜」は1977年10月に山口百恵の19枚目のシングル曲として発売されました。

すぐに人気を集め、1977年度のオリコンシングルチャートは35位、累計では50万枚近くの販売を記録しました。

また、山口百恵はこの年の大晦日に行われた第19回日本レコード大賞にてこの「秋桜」で歌唱賞を受賞しました。

 

山口百恵「秋桜」の 歌詞の意味を考察

1970年代の歌謡界を、一陣の風となって走り抜けた山口百恵。

この歌のタイトルにある秋桜は、どこか古風で、侘しさと芯の強さを感じさせる百恵の姿と重なります。

 

さだまさしの優しく丁寧に綴られた詞に、飾らず素直な歌声で命を吹き込んだこの歌は、今も変わらずたくさんの人々に愛されています。

 

いくら時が移り変わっても、どんな場所に生まれ育っても、娘を育てる母の気持ちは変わらないものです。

「娘を育てるのは、もう一度幼い赤子に戻った私自身を、育て直すようなもの」と、ある女性が語っていました。

 

小さい女の子から少女、年頃の娘へと自分の記憶をたぐりよせ、アルバムをめくるように慈しむ幸せは、何にも代えがたい幸せなのでしょう。

 

この歌は、言うならば、アルバムの最後のページ、娘が嫁ぐ前日を写し取った、一枚の写真であり、娘から母への最初で最後の手紙です。

 

秋桜という花は、決して華美な花ではありません。

素朴な花ですが、幼き日の無邪気な心を思い出させるような、郷愁をかきたてる魅力があります。

そんな秋桜の群生を背にして、所々が擦り切れたアルバムをめくる母の手は、小さく乾いて、節くれだっています。

 

あんた覚えてる?

婆ちゃんがお雛さん飾ってくれたの。

雛さん抱っこしてねんねするって泣いて、あんた聞かなかったんよ。

 

お父ちゃん、動物園、連れてってくれたね。

ねこちゃんのぬいぐるみ、あんたミーちゃん、ミーちゃん言って、ずーっと大事にしとったね.

どこいったんだろうねえ。

 

そんな母親の独り言を、娘は洗濯物をたたみながら、黙って耳を傾けています。

 

昨日までなら「やめてよ、湿っぽくなるっしょ」と笑いながら言えたのに…

今、それを口にしたら涙が零れてしまいそうで、口にすることができません。

母から、思いに浸るひとときを奪うのが、ひどく残酷なようにも思えるのです。

 

お母ちゃん、あたしの手をひいて河原まで散歩に連れてってくれた。

道端にたくさんコスモスが咲いとったから、摘んで帰ったんだわ。せっかく生けたのに、朝起きたら、全部萎れてもうた。

 

「また摘んだらいいべさ。花は毎年咲く」お母ちゃん、そう言って慰めてくれたんだ。

花は毎年咲く。

しかし、娘と過ごす1年1年は、唯一無二の瞬間の積み重ねです。

 

「時間が経ったらさ。ぜーんぶ、解決してくれるの。

悲しいこと、辛いことはさ。楽しい思い出いっぱい作って塗り替えてくもんなんだよ。

だから、あんたは何も思い悩まんと、嫁に行きんさい」

わしゃわしゃと頭を撫でる母の手は、20年前の記憶と変わらない、温かな手でした。

 

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娘がめくるアルバムのページは、決して楽しいものばかりではありません。

おもわず目をそむけたくなるページもありました。

 

お母ちゃん、あたしのため、あたしのため、って言うけど、結局はお母ちゃんの敷いたレールを走らせたいだけやん!

あたしの気持ちは、どうなるん?あたしは、お母ちゃんの人形と違う!ほっといてや!

 

あの頃の自分の叫び声が響くたび、娘は薄い唇をかみしめます。

未だに、ごめんの一言が言えない自分。そしてこれからも言えないまま、胸にしまって年老いていくのでしょう。

 

「ほんとに、ほんっとにつらくなったら、帰ってきていいんだからね。

お父ちゃんだって、何も怒ったりしないから…。

体、壊したら元も子もないんだからさ、ここは、あんたの家なんだからね」

 

その言葉に、娘のなかで、ぷつりと細い糸が切れました。

 

足元のブラウスを蹴散らし、母のもとへ駆け寄ると、丸い小さな背中にしがみつきました。

お母ちゃん、お母ちゃん。

声にならない叫びは、激しい嗚咽となって溢れ出します。

 

 

「泣き虫だねぇ、困った子だねえ。あんた、明日もそんなんしてたら皆に笑われるんだよ。

あんただって、いつかはお母さんになるんだから。しっかりせな」

 

分かっとう。分かっとうよ。

 

娘が母の胸で甘えられるのも、今日が最後です。本当の意味での、娘時代との決別です。

 

衣桁にかけられた白無垢は、午後の陽ざしに染められて、淡い黄金色になりました。

明日になれば、彼女は秋桜が咲くこの道を、幼き日と同じように、母に手を引かれ歩むことになります。

 

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まとめ

山口百恵「秋桜」の歌詞の意味を考察しました。

山口百恵自身も、やがて最愛の人と出会い、嫁ぐ直前にマイクを置きました。

寂しげな面影の宿る少女から、凛とした大人の女性へと変わる数年間を、当時のファンはまるで親のような気持ちで見守っていたのかも知れません。

 

ありがとう、ごめんなさい、とようやく伝えられるようになったのに、振り返れば大事な人はもういない。

そんなことは、珍しくありません。

例え記念日ではなくても、ごく当たり前の一日でも、あなたの身近な大切な人に、素直な思いを伝えてみられてはいかがでしょうか。

 

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