この記事は、来生たかお「Goodbye Day」の歌詞の意味を考察します。
1981年発売のこの曲は、「夢の途中」「シルエット・ロマンス」などと並んで来生たかおの人気曲です。
作詞作曲は、数々の名曲を生み出した、来生たかお・悦子姉弟。
それでは、「Goodbye Day」の歌詞の意味を読み解きましょう。
来生たかお Goodbye Day(グッバイ デイ)はどんな曲
【Goodbye Day】
アーティスト:来生たかお
作詞:来生えつこ
作曲:来生たかお
リリース: 1981年5月21日( キティレコード)
Goodbye Dayは1981年5月に発売された来生たかおの10枚目のシングルです。
この曲は、1981年のTVドラマ『愛のホットライン』の主題歌として使用されました。
また、1988年に来生悦子が手掛けたオムニバス小説「エピソード」には、作品タイトルとして同名が用いられました。
来生たかお Goodbye Day(グッバイ デイ)の 歌詞の意味を考察
「Goodbye Day」では、とある男女のボタンのかけ違いを、来生らしい柔らかな筆致で描写しています。
ありふれた夜更けの一コマ、この二人はどのくらいの時間を一緒に過ごしてきたのでしょうか。
来生の子守歌のような優しい歌声と、スタンドの淡いオレンジ色のイメージからは、彼なりに彼女を慈しみ、それなり円満に過ごしてきたことが伺えます。
しかし、小さなほころびやささくれは、一見、なめらかな円を描いているように見えても、そこかしこにあらわれるものです。
ひとつ目に入ってしまうと、気にせずにはいられない。
そのささくれが、どんどん深くなって、いつか大きな亀裂になるのではないか。
そんな不安が、聞いてはいけないことを口にさせてしまいます。
「まだ私を愛してるの」と。
彼は慣れた様子で彼女をなだめます。
君、少し疲れてるんだよ。だから寂しがり屋になるんだ。
ゆっくりお休み。大丈夫、そばにいるから。
この手の言葉は、まともに取り合えば喧嘩になる。
それが身に染みているから、彼は身をかわすのです。
安心したのか彼女は、彼の手を握ると、静かな寝息を立て始めました。
一方、彼の心には安堵と同時に、小さな棘のようなものが引っかかります。
『自分なりに』持てる愛は注いできた。愛してなければ、こうして一つ屋根の下に暮らしていない。
だけど、君が求めている愛は、また別物なのか?
出会った頃のときめきを求めているのなら、それは無理な話だ。少女でもあるまいし馬鹿げてる。
今日だって僕等は十分、幸せじゃないか。
彼はため息をつくと、軽く頭をふりました。考えるのはもうよそう。
どうやら彼は答えを出すのを諦めたようですが…
ここで視点を変えて、考察してみましょう。
この曲は、男性からみた視点で綴られています。
彼女が求めていた愛の形とは何だったのか、女性の生態に沿って考えることにしてみます。
言葉にしなければ伝わらない、態度で示してくれなければ分からない。
「男女とは、違う惑星の生き物だ」とはよくいったものです。
恋愛とは、男性は、今の一瞬一瞬の積み重ねであり、女性にとっては遙か未来を見つめるものです。
望む望まざるに関わらず、「子供を産み、乳を与える」原始的な本能が、シビアな判断力を育てるのでしょう。
そして女性は、コミュニケーションを密にすることで、精神のバランスを維持しています。
先に述べた子育てでも、かつては近い月齢の子供たちを持つ母親どうしで群れを作り、共同保育を行うことがよくありました。
(現代でもアフリカの一部で見られる光景です)
少し固い話になりましたが、少なくとも恋愛初期のときめきを求めているわけではなさそうです。
ちょっとした触れ合い、いたわりの言葉が、いつのまにか二人の間に消えかけていたのかも知れません。
その変化に女性は敏感です。
喧嘩をしたくないのは、男女ともに同じです。
取り返しのつかないことになる前に、サインに気づいて。
それが女性の本音でしょうか。
彼の視点に戻りましょう。
君はきっと、変わり映えのない日々に倦んでいるんだろう。
でも、一日が何もなく穏やかに過ぎていくということは、幸せなことなんだよ。
二人こうして、明日を迎えられることは、当たり前なんかじゃないんだ。
彼女に彼の思いは通じたのでしょうか。
彼女の寂しさは、理由はわからずとも彼には十分、伝わったようです。
彼女の力をこめた手に応えるように、彼はその手をそっと握り返すのです。
「お互いを信じる気持ちがあれば、きっと僕等は、うまくやっていける。そうして一日一日を積みかさねていけばいい」
彼のメッセージは、恋愛という枠にこだわらず、人と人との絆、全てを指しているような気がします。
まとめ
来生たかお「Goodbye Day」の 歌詞の意味を男性と女性の気持ちになって考察してみました。
時の流れは、私たちが思うよりもずっと早く過ぎてゆくものです。
それなのに私たちは、家族や恋人、友人とともに過ごす時間が、この先も永遠に続くかのように錯覚してしまいます。
未来に、保証はありません。
明日、どんな形で愛する人を失うか分からない。
私たちはその事実から目をそらして生きています。
仮にそのことを常に意識すれば、心は不安と悲しみで砕けてしまうでしょう。
しかし、ほんのひとかけらでも、その事実を心の片隅に留めておくことで、私たちは愛する人にもう少し、優しくなれるような気がします。
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