この記事は、庄野真代「飛んでイスタンブール」の歌詞の意味を考察します。
歴史あるトルコの都市イスタンブールをタイトルに含め、エキゾチックな雰囲気が漂うこの曲は、 庄野真代の代表曲です。
イスタンブール、ロール、ルール、シュールなどの韻を踏んだ歌詞も素敵です。
それでは、「飛んでイスタンブール」の歌詞の意味を読み解きましょう。
庄野真代「飛んでイスタンブール」はどんな曲
【飛んでイスタンブール】
アーティスト:庄野真代
作詞:ちあき哲也
作曲:筒美京平
リリース: 1978年4月1日(BLOW UP/日本コロムビア)
★チャート最高順位
週間3位(オリコン)、1978年度年間19位(オリコン)
「飛んでイスタンブール」は庄野真代の5枚目のシングルとして1978年4月1日に発売されました。
1978年度のオリコン年間順位は19位、シングル年間売上は46.3万枚、庄野真代の最大のヒット曲となりました。
庄野真代「飛んでイスタンブール」の 歌詞の意味を考察
歌詞の最初に登場する「ジタンの空き箱」。
フランスを代表する紙煙草、ジタンが何を意味するかご存知の方はいらっしゃるでしょうか。
ジタンはジプシー(ロマ族)の女性の通称です。
その名の通り、美しいジタンブルーの色彩と腰をそらせて踊る女性のシルエットがこの煙草のシンボルとなっています。
ロマ族はもともと、一つ所に定住することがなく、中東アジアからヨーロッパにかけて、主に旅芸人などで生計を立てながら、生涯を過ごす習慣がありました。
そのことから、日本でも何にもとらわれることなく自由きままに生きる人を指し、ジプシーに例えることがままありました。
この曲に出てくる主人公も、彼女が愛した人と同様、デラシネ(フランス語で根無し草、自由人の意味)だったのかもしれません。
二人の恋は、何の変哲もない酒場での他愛無いやりとりから始まりました。
一人、酒場にふらりと現れた乳白色のきめ細やかな肌に、つぶらな黒い瞳、絹糸のような黒髪の女性。
その姿は、男たちにしてみれば異国情緒をかきたてる魅力にあふれていたのでしょう。
恋の始まりに、言葉の壁は案外、障壁にはならないものです。
熱を帯びた眼差し、触れ合う指先の感触が、饒舌に互いの思いを伝えてくれます。
しかし嵐のような情熱が過ぎ去った後、その後にどんな困難が待ち受けているのかを彼女は重々承知しています。
だから、彼女は決して深入りしようとはしません。
彼は、この地の女には無い練絹のような肌に溺れただけ。
私も旅の彩として抱かれただけ。それ以上の意味なんてどこにもないわ。
そうね、確かに愛していたわ。それがどうしたっていうの。
案の定、ホテルにかかってきた電話は、つれなく、素っ気ないやりとりで終わりました。
昨日までの僕等はどうかしていたんだ。
君だって、日本に帰ればきっといいひとに出会えるはずさ。
ほんのひととき、夢を見たと思って忘れてくれ、僕もそうする。
ずるい人ね。だったら最初から素通りすればよかったのよ。
あなたにとって私はただの寄り道でしか無かったのね。
ずるいのは君も同じだろう。
じゃあ、どうしてこの国に来たんだ?
俺は嫌というほど見てきたんだ、この街に勝手に夢を思い描いて自由と浪漫とやらを追い求める異邦人をさ。
君もさしずめその1人だろう。
「あなただって異邦人じゃないの、あたしと同じ匂いがするもの」
言い終わる前に、電話はぷつりと切れました。
男性の言い訳は、すればするほど女性の心を冷たく凍らせます。
だから男は嫌なのよ。
溜息と一緒にわずかな感傷も吐き捨てて、カーテンをひらくと、眩しい光とともにブルー・モスクの鐘の音が、朝の訪れを教えてくれます。
街を一斉に覆い尽くすアザーン(詠唱)の波。
この街に来てから、幾度となく耳にしたはずなのに、今朝は新鮮に聴こえます。
一日は人の一生を表している。夜明けをとともに人は生を受け、宵闇の中、人は永久の眠りにつく。
それなら私は、毎日を新しく生まれ変わって生きているのね。
皮肉なものだわ。
運命と信じた出会いも、真剣に愛したことも、生まれかわれば、まっさらに消えてしまうなんて。
でも、イスタンブールというこの街は、白昼夢のような恋がよく似合います。
捕まえようとすれば、指の隙間からさらさらとこぼれ落ちてしまう、金色の砂のような幸せ。
アンデルセンはこの街を舞台に「空飛ぶトランク」という童話を書いています。
主人公は底抜けに陽気な放蕩息子。
空飛ぶ魔法のトランクでイスタンブールまでひとっ飛び。
宮殿に閉じこめられたお姫様は、「好きな人が出来ると不幸になる」呪いがかけられています。
果たして放蕩息子は姫を幸せにすることができるのでしょうか。
あとは読んでからのお楽しみ。
夜空の無数の星のようにまばゆく、螺鈿細工のように美しい街、イスタンブール。
やがて悲しき最果ての都。
街のあらゆるところで目にするジタンブルーは、今も昔も異邦人の心をとらえて離さない、魔性の色なのかもしれません。
まとめ
この記事は、庄野真代「飛んでイスタンブール」の歌詞の意味を考察しました。
この曲がリリースされた1978年頃。時代は円高、若い女性たちの海外旅行もそう珍しいものではなくなりました。
女性向けファッション誌「anan」「nonno」が創刊され、個人旅行も、高感度な女性たちにとってひとつのステータスになりました。
そんな世相を反映するかのように、異国情緒をふんだんに取り入れた名曲が生まれたのもこの時代です。
この曲でも、伴奏にギリシャの弦楽器ブズーキを取り入れ、中東アジアから南欧における民謡の特色が色濃く見られます。
永く愛される歌の魅力の一つに、聴き手をその世界へと誘い、引き込む力が強いことがあげられます。
私たちも、魔法の絨毯に飛び乗り、つかの間の時間旅行を楽しむとしましょうか。
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