この記事は、荻野目洋子「ダンシング・ヒーロー」の歌詞の意味を考察します。
1977年発売のこの曲は、ノリの良いリズムとエネルギッシュな歌声で多くの人々の心を掴みました。
それでは、荻野目洋子「ダンシング・ヒーロー」の歌詞の意味を読み解いていきましよう。
荻野目洋子「ダンシング・ヒーロー」はどんな曲
【ダンシング・ヒーロー(Eat You Up)】
アーティスト:荻野目洋子
作詞・作曲:A.Kyte / T.Baker
訳詞:篠原仁志
リリース: 1985年11月21日( ビクター音楽産業)
★チャート最高順位
週間5位、1986年度年間12位(オリコン)
「ダンシング・ヒーロー」は1985年11月に荻野目洋子の7枚目のシングルとして発売されました。
オリコンの1986年度シングルチャートで年間12位、売上枚数は32.4万枚を記録しました。
荻野目洋子「ダンシング・ヒーロー」の歌詞の意味を考察
ある日の夕方、昼間のデートを終えた一組のカップルが“またデートしようね”と言って、別れようとしています。
けれど、もっと彼と一緒にいたい彼女は、思い切って、こう誘ってみることにしました。
“ねえ、今日はもうちょっと一緒にいたいな。ディスコとか行ってみない?”
こうして、二人はもうしばらくデートすることにしました。
並んで歩く二人。空を見上げれば、星が瞬き始めていて、ムードたっぷり。
これは、ナイトデートにうってつけな夜になりそうです。
“勇気を出して思い切って誘って良かった”と彼女は思います。
彼は普段のデートでは、一言も愛情表現の言葉を口にしないので、正直不安だったのです。
やがて、友達がよく行くという街のディスコに着きました。
初めて行くその場所は、ギラギラしていて、熱気と刺激に溢れていました。
鳴り響く大音響に最初は驚く二人。
しかし、せっかく来たのですから、今更気おくれする訳にはいきません。
そこで、最初は見よう見真似でダンスしてみることに……。
やがて、慣れて来て、“え、すごく楽しい!何、この感覚!ハマってしまいそう”と思う彼女。
一方、彼は、踊りながら彼女を見つめる瞳に熱を宿しています。
普段とは違う彼の姿にドキドキする彼女。もう興奮が抑えきれません。
時間の経過と共に、だんだんと激しさを増す二人のダンス。
華麗で力強いダンスを披露する彼は、いつもの数十倍カッコよく見えます。
彼女の瞳に映る今の彼こそ、今宵の主役です。
“もう、彼も、ディスコも最高!”
興奮の絶頂に達した女性は、そう心の中で大きく叫びます。
以上のように、この曲は、ある日思い切って、二人で初めてディスコデートへと行くことにした一組の若いカップルの様子を描いた曲だと考えられます。
当時は、まさにバブル期に差しかかる直前。ディスコでは若い男女が踊り明かしていました。
彼女は、友達の話や、それを映したテレビの映像を目にして、自分も彼とこんなデートをしたいと憧れていたのでしょう。
しかし、相手は、普段、なかなか愛情表現の言葉を口にしたり、ハグしてくれない奥手の彼。
だから、彼を夜のデートに誘うのに、彼女は相当な勇気を要したはずです。
その勇気は称えられるべきものだと思います。
尚、いくら奥手でも、感情を言葉で表現してくれないと、女性は不安に駆られてしまいます。
そこは時代が移ろっても、変わらない重要ポイントです。
だから、男性は少々面倒に思われるかもしれませんが、定期的にその気持ちを言葉にして伝える必要があります。
それが恋愛関係を長続きさせることにも繋がります。
さて、肝心のディスコデートは、本当に素晴らしいものになりました。
中でも一番の収穫は、普段とは違う彼の一面が見ることが出来たこと。
音楽やダンスには、人間の心を解放する力がありますから、彼もその力によって新たな一面を呼び覚まされたのでしょう。
また、それは彼女自身にも共通して言えることで、彼は今夜初めて見る彼女の新たな姿に、魅了されたと思われます。
こうして、ディスコでダンスという新しい愛情表現を手に入れた彼氏。
二人のこれからのデートコースに、ディスコは絶対に外せない場所となることでしょう。
ディスコに限ったことではありませんが、恋愛では、時折、こうして、いつもとは違う場所に思い切って出掛けてみるという経験も必要でしょう。
この曲は、そんなことを教えてくれる一曲なのかもしれません。
まとめ
荻野目洋子「ダンシング・ヒーロー」の歌詞の意味を考察しました。
2017年、大阪府立登美丘高等学校ダンス部が、この曲を使用したダンスパフォーマンスを披露し、全国高等学校ダンス部選手権で準優勝したことで、再注目されました。
その時、初めてこの曲を聴いて知った若い方も多いのではないでしょうか。
実は、この曲は、1985年にイギリスのアンジー・ゴールドという歌手が「Eat You Up」という題名で発表したのが最初なのです。
その後、あっという間にこの曲が世界的にヒットしたのを受けて、日本でも篠原仁志が訳詞を手掛け、荻野目洋子の7枚目シングルとして発売されたのです。
そして、この曲はヒットして、彼女は1986年年末の第37回NHK紅白歌合戦に初出場を果たしました。
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