森進一「襟裳岬」の歌詞の意味を考察!【何もない春】の魅力

昭和歌謡

この記事は、 森進一「襟裳岬」の歌詞の意味を考察します。

1974年に発売されたこの曲は、それまでの森進一の演歌の枠組みを超えた挑戦でした。

しかし、優れた歌唱で人々の心をつかみ、ヒットとなりました。

それでは、森進一「襟裳岬」の歌詞の意味を読み解きましょう。

森進一「襟裳岬」はどんな曲

【襟裳岬】

アーティスト:森進一

作詞:岡本おさみ

作曲:吉田拓郎

リリース: 1974年1月15日(ビクター)

★チャート最高順位
週間6位、1974年度年間31位(オリコン)

「襟裳岬」は、1974年1月、森進一の29枚目のシングルとしてリリースされました。

作詞:岡本おさみ、作曲:吉田拓郎という、フォーク全盛期における黄金コンビによって作られたこの曲。

発売前には「演歌歌手の森のイメージに合わない」と反対の声があがりました。

しかし、朴訥とした歌詞に乗せた、森の哀切な歌声は、聴衆の心を掴み、第16回日本レコード大賞と第5回日本歌謡大賞のダブル受賞の快挙となりました。

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森進一「襟裳岬」の歌詞の意味を考察

この曲のタイトルになっている襟裳岬のある『えりも町』は、北海道の道央エリア、日高地方にある港町です。

ゼニガタアザラシの生息地として知られ、岬の上の灯台は、『日本の灯台50選』に選ばれました。

肉厚で美味な日高昆布の名産地として知られ、夏から秋にかけての『昆布干し』は、襟裳の風物詩となっています。

他にもウニやツブ海といった、海の恵みが豊かな土地柄ですが、この歌では、一切そういったことには触れていません。

 

何故でしょうか。

この歌詞から読み取れるのは、最果ての街に生きる若者たちの、早くに青春と決別せざるを得なかった哀しみです。

幼いころから、貝の身を剥がす母の背中で、潮風を子守歌代わりに育ち、夜もまだ明けないうちから漁に出ていく父親の背中を見つめてきた少年たち。

 

彼らの人生には、すでにレールが敷かれています。

自分たちも、あと数年もすれば漁に出て、幼馴染と所帯を持ち、子供たちに後を継がせる運命なのです。

自分たちの両親がそうしてきたように。

 

 

都会の暮らしは、ブラウン管の中のおとぎ話にすぎません。

それでも、彼らは駅前の喫茶店を訪れては、鬱屈を吐き出します。

 

自分たち以外の客は、皆、豊かな自然に惹かれて訪れた観光客です。

「やっぱり北海道はいいね、空気が澄んでる」

「人が大らかだよ。いいねえ、こんなところに住みたいなあ」

 

青年は、漏れ聞こえる観光客のおしゃべりに、密かにため息を吐きました。

正面の恋人が、黙ってコーヒーカップを差し出します。

彼も黙って角砂糖を一つ、入れてやります。

 

付き合いが長くなればなるほど、互いに口数も減りました。

これといって一緒にいたい理由もないけれど、別れる理由もありません。

青年は瞼を閉じると、北海道でポピュラーなハマナスの花の鮮やかな紅色が、いっぱいに広がります。

沿岸に咲くハマナスの花は、夏の風物詩です。

 

この季節だけは、冴え冴えと青く澄み渡る海の色も、空の色も、素直に美しく思えたものでした。

思い出の中の麦わら帽子を被った恋人の頬も、小麦色に焼けて美しく見えました。

 

 

現実に戻り、ふと恋人はつぶやきます。

「東京、行ってみたいな…」

琥珀色の液体をくるくるかき回して、彼女が呟きました。

「別に東京じゃなくてもいいの。大阪でも、博多でも、札幌でも、いいさ。田舎なんか大嫌い!」

 

「あてが無ぇべ。どうやって暮らすつもりだよ。」

 

「つまらないこと言わないで、夢を見るぐらい、私の勝手でしょや。」

彼女のふくれた頬を見れば、胸に秘めた言葉は一目瞭然です。

 

「俺は、もう諦めたよ。

今年からは、『船に乗れ』って親父に言われてる。

『甲板洗いの基本から、たっぷり叩き込んでやる』だとさ。

おかげで夏休みは丸つぶれだ。

文句を言ったら『高校に行かせてもらえるだけでもありがたく思え』だって。

それを言われたら、何も言えないや」

 

しゅんしゅんと、石油ストーブの上の薬缶が湯気をたてました。

この街では、束の間の夏が訪れるまで、朝晩の火焚きがかかせません。

 

 

「…何もかんも全部、ストーブに突っ込んじゃいたいわ。

若さなんて何の役にも立たないっしょ?

明日も明後日も、10年後だって、一緒じゃないさ。

このまま、お婆ちゃんになるの、いやだ、あたし…」

 

 

青年は、彼女の言葉が聞こえない振りをして、霜のついた窓ガラスに指を押し当て、絵を描きます。

物分かりのいいつもりで、17年生きてきた。

寂しさも、やるせなさも飼いならして。

だけど、それは臆病さの裏返しだ。

 

 

透明な檻の中で、ささやかな幸せを探しては、ちまちまと雀のようについばんで生きている、それが俺たちなんだ。

降り積もる雪のように、ひらひらと舞い落ちる、やり場のない悲しみを燃やして暖を取る、それが俺たちの人生なんだ。

 

「雪だ、もう四月なのに」

恋人の一言に、彼は、我に返りました。

幼い時から一緒の時間を過ごし、何の疑問も躊躇いもなく、口づけをかわした恋人。

 

 

彼の脳裏に、ふと迷いが浮かびます。

もし俺が、都会で育っていたら。

俺は、本当の恋を知ったのだろうか。

 

 

「あ、でも、ボタ雪だわ、湿ってるもの」

 

「季節外れの『お友達』の登場だな」

 

「随分、感傷的だね。」

 

彼女は、くすくすと肩をすくめて苦笑いしました。

 

今年も、襟裳岬に、駆け足で春がやってきます。

来年も、再来年も、瞬きする間に終わってしまう、短い春が、やってきます。

これまでと同じように平和で穏やかな春になるのでしょうか…。

 

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まとめ

森進一「襟裳岬」の歌詞の意味を考察しました。

この土地に生きる高校生の若者たちの、早くに青春と決別せざるを得なかった想い…。

そうしたことを主体にまとめました。

 

この曲のサビの「襟裳の春は何もない春です」には、えりも町の住民から賛否両論の声があがったそうです。

筆者は、本文に記載のとおり、特別なことはありませんが、『平和で穏やかな春です』という良い意味に受け取りました。

あなたはどのように感じられたでしょうか…。

 

 

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