小柳ルミ子「瀬戸の花嫁」の歌詞に意味を考察! 歌われた時代背景も | カモシカおやじの趣味ブログ

小柳ルミ子「瀬戸の花嫁」の歌詞に意味を考察! 歌われた時代背景も

昭和歌謡

この記事は、小柳ルミ子「瀬戸の花嫁」の歌詞の意味を時代背景をもとに考察します。

1972年に発売されたこの曲は、瀬戸内海の島から島へ嫁いでいく女性の心情を唄い、大人気となりました。

それでは、小柳ルミ子「瀬戸の花嫁」の歌詞の意味を時代背景をもとに考察しましょう。

 

「瀬戸の花嫁」はどんな曲?

【瀬戸の花嫁】

アーティスト:小柳ルミ子

作詞:山上路夫

作曲:平尾昌晃

リリース:1972年4月10日(ワーナー・パイオニア)

★チャート最高順位  週間1位、1972年度年間2位(オリコン)

小柳ルミ子は、1971年4月に「わたしの城下町」で歌手デビュー。

「瀬戸の花嫁」は4枚目のシングルで翌年1972年4月に発売されました。

1972年度のオリコン・シングルチャートでは年間ランキング2位、販売枚数は69.4万枚のヒットを記録。

第3回日本歌謡大賞、第14回日本レコード大賞・歌唱賞を受賞しました。

 

小柳ルミ子「瀬戸の花嫁」の歌詞の意味を考察

「瀬戸の花嫁」は一言で言えば、瀬戸内海の島から島へ嫁いでいく若い娘の心情と決意の歌です。

瀬戸内海の情景が目に浮かぶこの曲は、今ではこの地方のご当地ソングとなっています。

舞台は香川県の沖之島という説もあるようですが、モデルとなった島は決まっていないようです。

 

作詞の山上氏は何度か仕事で四国に行く途中、船で通った瀬戸内の景色と美しい夕日に感動し、この歌詞を思いついたとか…。

 

瀬戸の花嫁は、夕暮れのおそらく穏やかな波間を船に揺られながら花婿の待つ島へ花嫁衣裳で渡っていったのでしょう…。

 

彼女の住む島は農業が盛んだったのでしょうか?

だんだん畑が小さく遠のいていくことに寂しさを感じています。

幼い弟に両親を託し、懐かしい人々に別れを告げ、故郷の島を後にします。

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…現代の人であれば、ここで疑問!

結婚式には親兄弟、親戚などは参加しないの?

戦国時代の姫でもあるまいし、1人嫁ぎ先に送られるなんて!

しかも夕方?結婚式を夜に?と思いますよね?

 

もちろん、当時も結婚式場を利用して結婚式を挙げる人も多かったと思います。

しかし、地方では昔のままの結婚式のスタイルも多く残っていました。

一般的には自宅で支度をして家族や親戚、近所の人が花嫁行列を作り嫁ぎ先に向かったとか。

結婚式は地元の人のお祭りのような行事とも言えました。

当時の瀬戸内海の島々に「しまなみ海道」などありません。

橋はないので交通手段は船だけです。

本土行きなら1日数便あっても、それぞれの島を繋ぐ船となると頻繁にはなかったでしょう。

1日にあるかないかの定期便のみ。

 

きっと花嫁道具や生活用品などは事前に運搬。

当日、花嫁が身一つ船で向うこともあったでしょう。

今では1~2時間程度の距離がこの頃はもっと遠かったはずです。

歌詞には、そのような地域的な事情も垣間見れます。

 

生まれ育った島を離れるという事は…。

親も友達もいない遠い所にたった1人で放り出されたようなもの。

頼れるのは夫だけ。

 

オイソレと帰ることは出来ない。

何があっても自分の居場所は自分で作るしかありません。

相当な覚悟で嫁いだと思われます。

 

夫や姑と喧嘩して「実家に帰らせて頂きます」も…。

「ムカついた!出てってやる!」も出来きません。

小さな島々ですから、家を出て身を寄せる場所はほとんどないでしょう。

島に宿がない場合もあれば、コンビニすらありません。

家出したらほぼ野宿…。

まさしく敵陣に放り出された状態です。

 

だからこそ、瀬戸の花嫁の主人公は腹をくくって嫁ぎます。

彼女の辞書には“里帰り”はなく、ましてや“離婚”なんて文字はありません。

“嫁ぐ”覚悟が今の時代とは少し違ったのでしょう。

 

故郷の人々はまだ若い花嫁を心配します。

でも彼女は「愛があるから大丈夫」。

「これから愛する人と一緒に力を合わせ生きていく!」と決めています。

 

…「愛があるから大丈夫」なんて、若いなぁ~…

と思う結婚生活経験者は多いでしょう?

そうです、そんな簡単なものではありません。

愛で解決できないモノも多くあります。

結婚はゴールではなくスタートです。

しかも、その時代はまだ、今以上にお嫁さんには忍耐が必要。

 

 

きっと親と同居も珍しくはない時代。

 

楽しい2人だけの新婚生活ではないかもしれません。

姑や小姑が手ぐすね引いて待っているかもしれません。

 

もしも、夫が実はマザコンだったり、遊び人だったら…

考えたらキリはありません。

すべては蓋を開けてみないとわからないのです。

 

愛があるから…

それも若気の至りです。

初めからネガティヴ思考で嫁ぐよりずっと立派です。

そうやって皆、大人になって行くのでしょう。

 

明日もきっと晴れ!

瀬戸内海の美しい夕焼けが私たちを祝福してくれている…

と自分を鼓舞する姿も、とてもいじらしく印象的です。

それから、そろそろ半世紀。

瀬戸の花嫁はどんな結婚生活を送ったのでしょうか?

 

多くの苦難を乗り越え、最初の決意に通り愛の名のもとに幸せに暮らしたのか?

それとも、意外とパワフルに一家を仕切ったか?

 

どんなオバサンになっているのでしょう?

孫もいるかもしれません。

結果的に幸せな人生を歩いているといいですね。

「瀬戸の花嫁PART2」「それからの瀬戸の花嫁」の曲を是非聞いてみたいものです。

 

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「瀬戸の花嫁」の流行った1972年  時代背景は?

1972年の日本では歴史に残る様々なことが起こりました。

政治では第七代内閣総理大臣に田中角栄が就任。

戦後27年間アメリカの支配下にあった沖縄が日本に返還されました。

 

終戦を知らず28年間グアム島で潜伏していた日本兵の横井正一さん。

現地の人の情報により日本政府の捜索で発見され帰国。

また浅間山荘事件が起こったのもこの年です。

 

そして、日中国交正常化のシンボルとして上野動物園に贈られたパンダ。

雄のカンカン&雌のランラン2頭が日本中にパンダブームを巻き起こしました。

銀行キャッシュカードが登場。

 

自動車の運転免許の初心者に<若葉マーク>が義務付けられました。

TV番組では「太陽にほえろ!」がスタート。

映画では「ゴッドファーザー」「ダーティハリー」が公開され大ヒット。

 

当時生まれていなかった人でも知っている多くの事が、この頃起こっています。

まさに時代の変わり目。

今に続くものが急速に登場しました。

 

「瀬戸の花嫁」は替え歌で息の長い名曲へ

名曲とは、とかく替え歌にされやすいもの。

当時から現在まで「瀬戸の花嫁」にも多くの替え歌が作られました。

食品バージョンやサラリーマンあるある、教師バージョン。

 

また地方ごとに“ご当地バージョン”など様々あったようです。

替え歌でせっかくの歌詞がと残念にも思いますが…。

替え歌にされる程、多くの人に愛される曲であるとも言えます。

多くの替え歌にされた「瀬戸の花嫁」ですが、それはある意味“勲章”なのかもしれませんね。

 

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まとめ

小柳ルミ子「瀬戸の花嫁」の歌詞の意味を時代背景をもとに考察しました。

戦後1948年に結婚したカップルは95万組を超え、それをピークに減少しました。

一方、この曲の流行った1972年に結婚したカップルは過去最高の110万組だそうです。

 

当時、この曲の「愛があるから大丈夫」というフレーズに自分を重ねて…。

美しい情景を思い浮かべ、勇気をもらって嫁いだ女性もきっと多かったことでしょう。

「瀬戸の花嫁」の最大の魅力は、未来を信じて嫁ぐ若い女性のひたむきな願いと決意。

 

そして、行ったことがない人でも瀬戸内海の美しい自然が目に浮かぶ歌詞。

それを伝える小柳ルミ子の歌唱力の魅力ではないでしょうか?

時代や景色は変わっても、瀬戸内海の美しい夕日は今もあの頃のままです。

 

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