八神純子「みずいろの雨」の歌詞の意味は?時代背景も含めて考察!

昭和歌謡
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この記事は八神純子「みずいろの雨」の歌詞の意味を考察します。

雨にまつわる歌は多数ありますが、雨の歌には心を癒す不思議な効果があるようです。

その中で1978年に発売され、ヒットした八神純子の名曲「みずいろの雨」の歌詞の意味を時代背景と共にひも解いていきます。

八神純子「みずいろの雨」はどんな曲?

【みずいろの雨】

アーティスト:八神純子

作詞:三浦徳子、作曲:八神純子
編曲:大村雅朗

リリース:1978年9月5日(ディスコメイトレコード レーベル)

八神純子「みずいろの雨」は、1978年(昭和53年)にスタートした伝説の音楽番組「ザ・ベストテン」で話題の曲を紹介する「今週のスポットライト」というコーナーで初出演。

これが話題となり、翌年まで日本の音楽シーンで注目された曲となりました。

シングルセールスは60万枚以上。雨ソングの中では定番となりました。

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八神純子「みずいろの雨」の歌詞の意味を考察

「みずいろの雨」の水色とはその文字の通り澄んだ水の色。

色彩学では水色と呼ばれる色の幅は広く、黄味がかった青から赤味がかった青まで全て水色と表現します。

この曲では「雨」の色として表現されているので、黄味寄りの緑がかった透明に近い淡い水色なのでしょう。

水色は寒色系、癒しや浄化、自由や純粋、また冷静や孤独などといったイメージがあります。

さらには雨の音にも癒しや浄化、冷静の効果があります。

まさに「みずいろの雨」は、哀しい恋や失恋の曲としての要素が充分込められています。

「みずいろの雨」の曲からは傘もささず、雨に打たれている女性の姿が想像されます。

それは彼女の意志。傘を持っていないとか、雨をしのぐ建物が近くにないわけではありません。

終わった恋、壊れた愛の後悔や苦しみと共に、とめどもなく流れる涙を洗い流すためにあえて、雨に打たれビショ濡れになっているのです。

この恋は失恋。それも自身の過ちが巻き起こした「愛の終わり」なのでしょう。

たとえば、公園の砂場で子ども達が作った砂の山や砂の城が雨で崩れるように、角砂糖が雨で徐々に溶け崩れていくように。

 

彼女は築いてきた愛が雨によって少しずつ形を変え、いつしか痕跡も残さず消えて欲しいと願っています。

「アナタって人は優しい」、私の過ちを見ないフリしていてくれたのです。

もしかすると、彼女はバレてるかも?と薄々わかっていたのかもしれません。

けれど、彼はどんなにバレバレでも頑なに気遣いないフリを通し続けていました。
彼にしてみれば、気まぐれに違いない。

そのうち戻ってくるだろう、元に戻れるなら今は何も聞かず、ただ黙ってその時を待とう。

彼女が戻って来られやすいように、と耐えていたのです。

彼にとっても彼女との日々は壊したくない大切な宝物、彼女の帰る場所は死守すべきモノだったに違いありません。

 

彼女にしてみれば、責めてくれたら、怒ってくれたら良かったのに!

自分がどこで誰と何をしようが気にならないの?という心のどこかで、彼の本心を確かめたいと思っていた部分もあったのでしょう。けれど彼は何も言わなかった。

責めてくれたら素直に「ゴメンナサイ!」が言えたかもしれなかった。

けれど、どんなにボロを出しても、けっして彼女を咎めたりしなかった。

 

逆に自分を責めていたかもしれなかった。

なのに、いつものように穏やかで知ってるくせに何も気づかぬ鈍感男のように振る舞い続けてていた。彼なりに彼女を護るために。

それが彼女には耐えられなかった。

だから、きっと彼女から別れを切り出したのでしょう。

彼が必死に回避しつづけた“別れ”の言葉に何一つ異論を唱えず、素直にYESと受け入れた彼の瞳は…傷ついた分だけの辛さと淋しさと憂いを秘めていたのです。

苦しんだのは彼の方だ。自分の何倍も苦しんでいたのだと…
この瞳を見てしまったら、本当にもう二度と元には戻れないと悟ります。

 

本当に大切なものは失くしてから気づくものです。

本当は気まぐれなオイタよりも、彼や彼と共に築いたものの方がよほど大切であることなんて、彼女には最初からわかっていた事でしょう。

自分で切り出したものの、微笑み合った“さりげない大切な幸せな日々”を手放すことが苦し過ぎました。

彼女がつけた彼の心の傷の深さに後悔と苦しみを感じています。

 

「愛したことなど、忘れてよ!」それは、彼に対して、さらには自分自身にも言い聞かせているのでしょう。

忘れられるはずもないのに…。
今、彼女の肩を抱いて慰めてくれるのは、この降り注ぐ雨だけ。

雨に身を委ね後悔と孤独に耐えるだけが、彼女が冷静さを取り戻し、新たに歩き出すために必要な“浄化と癒し”なのです。

かけがえのない宝物が全て崩れ去り消えるまで…、恋愛に限らず「逃がした魚は大きい」ものです。

そして過ちはいつか必ず自分に返ってきます。

 

特に若い時はがむしゃらで何事も感情が優先します。

誰もがそんな過ちをいくつか経験し、いつか「そんなこともあった」と振り返るものです。

だからこそ「みずいろの雨」の歌詞は多くの人に身に染みるのでしょう。

八神純子「みずいろ雨」の歌われた時代背景は?

この曲がヒットした1978年(昭和53年)は人々が地球の大地に留まらず空や宇宙へと目を向けた年だったかもしれません。

この年の4月、東京池袋に当時日本一と言われた60階建の超高層ビル「サンシャイン60」がオープン。

5月には新東京国際空港、現在の成田国際空港が完成しました。

この頃から空から見る地上の風景は珍しいモノではなくなりました。

 

話題になった映画も『未知との遭遇』『スター・ウォーズ』(エピソード4)

日本映画も『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』『宇宙からのメッセージ』など地球の外やSFが人気を博しました。

7月には「宇宙科学博覧会」(SPACE EXPO’78)開催。

テーマは宇宙-人類の夢と希望(SPACE-DREAM AND HOPE FOR HUMANITY)、人類は地球よりもっと広い宇宙に夢と希望を求めていました。

それは21世紀に引き継がれ、今では国際宇宙ステーションに人類が滞在しているなんて、当時にしてみれば映画のような世界。

地球外生命体とのコンタクト、船や電車やロボットが宇宙を走ることも、あと数十年もすれば遠い未来の話ではないのかもしれませんね。

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まとめ

八神純子の「みずいろの雨」の歌詞の意味を時代背景と共に考察してみました。

八神純子はデビュー曲「思い出は美しすぎて」をはじめ「エンドレス・サマー」「ポーラー・スター」「パープルタウン」など名曲が数々あります。

どれも素晴らしい曲ですが、八神純子の見事な歌唱力が曲を一層引き立てています。

彼女は愛知県出身で3歳からピアノ、6歳から日本舞踊を習い、幼い頃から歌が大好き。

高校でフォークギターのサークルを作り、ヤマハのボーカルタレントスクールにも通い、歌の練習に明け暮れ、作曲もしていました。

 

1974年の第8回ヤマハポピュラーソングコンテスト(ポプコン)に出場し、最優秀曲を受賞した自作の「雨の日のひとりごと」の他、「幸せの時」の2曲で入賞。

1978年20歳の誕生日『思い出は美しすぎて』でプロとしてデビュー。

八神純子のその素晴らしい歌唱力は今も健在です。

ネット動画などで彼女の歌声を聴いてみられてはいかがでしょうか。

 

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