この記事は、かまやつひろし「我が良き友よ」の歌詞の意味を考察します。
1975年発売のこの曲は、男同士の友情を描いた温かいぬくもりを感じさせる名曲です。
作詞・作曲は吉田拓郎が手掛けています。
それでは、かまやつひろし「我が良き友よ」の歌詞の意味を読み解きます。
かまやつひろし「我が良き友よ」はどんな曲
【我が良き友よ】
アーティスト:かまやつひろし
作詞・作曲:吉田拓郎
リリース: 1975年2月5日(EXPRESS / 東芝EMI)
★チャート最高順位
週間1位、1975年度年間9位(オリコン)
「我が良き友よ」は1975年に発売されたかまやつひろしのシングル曲です。
この曲の作詞・作曲は吉田拓郎で、かまやつひろしの代表曲になっています。
日本酒飲みながら聴きたくなるような昭和の名曲のひとつです。
発売後、すぐに人気が出て、1975年度オリコン・シングルチャートでは年間ランキング9位、売上枚数は70.0万枚のヒットを記録しました。
かまやつひろし「我が良き友よ」の歌詞の意味を考察
主人公の俺と学生時代の友人のことを歌った「我が良き友よ」。
歌詞は、学生の頃にバンカラだった友人を思い出して、自分と友人のことを語る内容です。
友人がバンカラな学生で硬派な人柄であり、奥手で純情だったこと、女遊びや暴力を自慢しても、そんな悪い事が出来ない人間だと分かっていること。
また、お金の為だと家庭教師をしていた時も子供には道徳、人生を語る良い奴だったんだよな、という事を思い出します。
ではなぜ主人公は、友人のことを思い出したのでしょうか?
それは、主人公が時の流れを感じたからです。
歌詞の言葉を引用すると、「時の流れを恨むじゃないぞ」「時を憂いて」、この辺りです。
これは友人に語りかけているように歌っていますが、自分自身に向けた言葉なのです。
現在、主人公は今もこの街で、奥さんと子供と共に住んでいます。
暮らしぶりは、手を焼きながらも何とかやってきている状態。
しかし、学生の頃に思い描いていた姿とは違っていたことでしょう。
主人公は当時、バンカラなんてもう古いよ、と友人に言った言葉が悔やまれます。
主人公は自分自身をハイカラ側に置いています。
時代は目まぐるしく変わっていった1970年代。
西洋化していく社会、その「ハイカラ」は当たり前のこととなりました。
一方、ハイカラとは吹けば飛ぶという軽薄さという連想で灰殻とも書かれたりもします。
主人公は、一般人でハイカラ側に流され、ただ生きる事が精一杯な人生を送っている。
思い返せば自分は友人のバンカラな生き方に憧れていたし、彼は自分の夢だったのだと気づきます。
先に「時の流れを恨むじゃないぞ」「時を憂いて」の歌詞は自分自身に向けた言葉だと書きました。
しかし、よく考えてみるとバンカラであった友人も同じ気持ちではないかと思えてきました。
会うのは難しいとは分かっていますが、会えたら一緒に飲んであの時のように語り合いたい、という気持ちが湧き上がります。
バンカラの友人からは時代に左右されない芯の強さを感じます。
一方、暑中見舞いが秋になって戻ってくるくらい、相変わらずにマイペースな友人・・。
もし会うことができたら、バンカラは変わってないことを確認してほっとしたい自分がいるのです。
友人は今、同じ空を、星を見ているとしたら何を想っているのだろう。
きっと自分と同じことを思っているに違いない。
主人公は、学生時代はバンカラという生き方はもう古く時代遅れだと感じていました。
しかし改めて考えると、バンカラのような生き方こそ今の時代に必要だったのでは無いか、という気がしてきます。
月日を経て、大人になった主人公と友人ですが、再会して酒を飲んでいろいろと昔のように語り合いたいという気持が伝わってきます。
学生時代に親しかった友人のことを思い出させてくれる曲です・・。
まとめ
かまやつひろし「我が良き友よ」の歌詞の意味を考察しました。
主人公の俺が学生時代のバンカラな友人のことを「我がよき友よ」と昔を振り返り、大人になった今の自分の日常も踏まえて、どうしているかな、元気にやっているかなと想いをめぐらせる内容でした。
不器用な男同士のほのぼのとした友情が感じられて素晴らしいですね・・。
ところでバンカラという言葉は若い方には馴染みがないと思いますので少し補足します。
バンカラとは、ハイカラ(西洋風の身なりや生活様式を取り入れる)に対するアンチテーゼとして言動や身なりをわざと野蛮に振るうことです。
ハイカラもバンカラも明治時代に生まれました。
バンカラは、着古しの学生服、マントに学帽、それから下駄を履く姿が一般的です。
このバンカラが学生の間で流行したのは明治時代から昭和中期までですが、「我がよき友よ」が発売された1975年(昭和50年)頃は既にバンカラという文化は廃れつつありました。
筆者は個人的にはバンカラの文化には好意的です。この先も完全には廃れないで生き延びて欲しいと思っています。
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