この記事は長渕剛「とんぼ」の歌詞の意味を考察します。
1988年10月に発売されたこの曲は、夢と希望をもって地方から上京した若者の奮闘と苦悩、その姿をトンボと対比して唄われ、大人気となりました。
それでは、長渕剛「とんぼ」の歌詞の意味を考察していきます。
長渕 剛「とんぼ」はどんな曲?
【とんぼ】
アーティスト:長渕剛
作詞・作曲:長渕剛
リリース:1988年10月26日(東芝EMI/エキスプレス)
★チャート最高順位
週間1位、1989年度年間3位(オリコン)
1988年10月に発売された「とんぼ」はシンガーソングライター長淵剛の20枚目のシングルです。
作詞・作曲は長淵本人が手掛けています。
同年10月放送の本人が主演したTBSドラマ「とんぼ」の主題歌にもなりました。
すぐに人気となり、1989年度のオリコン・シングルチャートでは年間ランキング3位、販売枚数は75.6万枚を記録しました。
長渕 剛「とんぼ」の歌詞の意味を考察
「とんぼ」は東京に憧れ希望を胸に地方から上京した主人公の若者の姿が描かれています。
日本の中心・東京で世間の風にさらされ、傷つきながらも夢を諦めず、必死で日々を生きて行こうとします。
この曲が生まれたのは1988年。
当時、華やかで楽しく、夢が叶う場所だと信じた若者が首都東京に大勢集まってきました。
大阪も名古屋も札幌も福岡も当時から現在まで大都市であることは変わりませんが、東京はそれらとは比較にならないほどの別格の大都市です。
ところが、田舎で育った若者にとって、東京は華やかで明るく楽しいところばかりではありません。
大都会ならでの陰のような部分もあり、戸惑うこともあります。
他人にあまり関心がないように見える東京の人々…。
地方出身者からは「都会の人は冷たい」という言葉もよくささやかれました。
東京近郊で育った人からすると、そこまで言われることはないと思うのですが…。
ここではあえて長渕 剛「とんぼ」の歌詞の意味を東京の人目線で考察し突っ込んでみましょう。
この主人公の青年はどうやら、西日本のどこかの街から、「オレ、東京行って一発当てたる~!」と夢と希望を抱き、息巻いて上京したのでしょう。
若き日の鹿児島出身の長渕剛を思い起こさせる歌詞のように感じます。
あんまり意気込むと疲れちゃいますよ、と言ってあげたくなりますね。
上京した当初は、何でもあって、見るもの聞くもの何もかもが珍しい…。
夜中まで走る電車や煌びやかな街並み、眠らない街・東京を満喫したのでしょう。
ただ、しばらくすると東京は楽しいだけの街ではないことに気づき始めます。
早くもつまずいたのか?
アスファルトの足音すら冷たく聞こえるようです。
そうですね、都内の道は、殆どアスファルトで整備されています。
既にちょっと挫折気味…?
「俺は俺さ~!」な~んて自分を慰めています。
そう、東京は物価も高いし、生活するには結構大変!
ついでに基本的にプライバシー重視なので、むだなお節介はしません…。
必要以上に干渉せず、本音と建て前を上手く使いこなし、ほどよいお付き合いがセオリー。
この主人公のように自分に正直なのはとても良いことですが…。
時に正直過ぎるとイタイ目に合います。
そんな花の大東京は温和な田舎育ちの彼には冷たく感じたのかもしれません。
「ご飯たべてく~」「コレ持っていけ~」という近所のオバちゃんもいません…。
未来を夢見て意気揚々とボストンバック1つ抱え上京した日が懐かしく感じています。
理想と現実を目の当たりにして少々ホームシック的な心情も感じられます。
眠れない夜、ふと故郷ののどかな秋の風景を思い出したのでしょうか?
秋の野山にスイスイと飛んでいくトンボ、どこに向かって行ったのでしょう?
主人公は前にしか進むことが出来ないトンボに自分を重ねています。
そして、未来に進んで行ったトンボは…。
憧れしか見えていなかった頃の自分、今の上手くいかずじたばたする、みじめな自分を笑っているかもしれません。
もうすぐ冬になります。
木枯しも都会の街も冷たく頬をなでていきます。
靴下や靴が買えないほどビンボーではないと思いますが…。
この街の冷たさで足先も冷えてしまいそう、足を冷やすと身体全体が冷えます。
現実が身に染みるという比喩でしょう。
それでもまだ、東京にみた希望は捨てたわけではない。
死にたいほど憧れ、苦労を承知で意を決し上京したこの街。
もう少し踏ん張ってみたいのです。
イマイチ馴染め切れないこの“東京”で明日も生きていくのです。
捨てきれない希望と憤りや理不尽と対峙する心は、酒でごまかすしかありません。
酒の力で言いたいことを思いっきり口に出してみる…
そこで「東京のバカヤロー!」です!
場所にバカヤロー、そんな言葉を吐いても東京の街も人も当然、スルーです。
だから、最初から意気込み過ぎてはダメなのです…。
郷に入っては郷に従え、実際に経験したからこそ知ることが出来る世の中、この曲も成長の物語なのです。
東京の名誉のために言わせていただくなら…。
東京は日本の首都、様々な新しいものが入っては過ぎて、目まぐるしく変化します。
時間の流れが速いのです。
そして、いろんな地域の人が集まっている街です。
全てを平均的に円滑にするには過剰にモノや人に干渉しない。
臨機応変に時代の流れに身を任せるのが一番。
東京の人は冷たいわけではありません…。
東京の人だって、困ってる人がいたら助けますって!
各地の人が集まる街で、考え方や常識が人により様々なため、そうした方が無難なのです。
この曲の生まれた1988年から、かれこれ30年以上が過ぎた今、東京ばかりが夢の街ではありません。
日本の主要都市も華やかで便利な街に発展し日本中、いや世界中どこにいても夢を叶えることは可能です…。
しかし、当時の若者は過剰なほどに東京に特別な夢をみた人が多かったのでしょう。
長渕自身も上京したてはこんな想いをめぐらせていたのかもしれません。
同じような想いで上京した人がこの曲に深く共感したのでしょう。
長渕剛という九州出身で自分に真っ直ぐでチョイ悪オヤジ(当時はお兄さん?)。
そんな長渕が本音で呟くように唄った事も「とんぼ」のヒットの要因かもしれませんね。
長渕 剛「とんぼ」の流行った1988年とは?
長渕 剛の「とんぼ」の曲が生まれた1988年は和暦で昭和63年です。
昭和64年はたったの7日間。
1月8日で「昭和」は終わり、平成となるので、1988年は実質的な昭和最後の1年ともいえます。
1988年は次の時代を導くように、様々な日本一、世界一が生み出されます。
当時、世界最長といわれた、青森と函館を結ぶ海底トンネル「青函トンネル」が開通。
最新鋭の鉄道車両で東北・上越新幹線が開業、世界最長の道路「瀬戸大橋」が開通します。
日本の技術の素晴らしさが世界中に知れ渡りました。
昭和天皇は1926年12月25日に第124代天皇に即位され、昭和の時代が始まりました。
戦争をはじめ激動の時代を多くの苦難を乗り越え1989年(昭和64年)1月7日に62年という昭和の長い年月に終止符をうちました。
昭和天皇は歴代天皇の中で最も長い62年14日間を在位し、87歳という長寿でした。
当時、小渕恵三官房長(後の小渕首相)が記者会見で新元号「平成」を公表。
長いこと、年号が変わる瞬間など経験のない国民は初めての事態に驚きと寂しさ、そして感動の瞬間を体験しました。
そして、その31年後、菅義偉官房長官(当時)が新元号「令和」公表。
時代は着々と未来へと繋がっています。
まとめ
長渕 剛「とんぼ」の歌詞の意味を歌われた時代背景を含めて考察しました。
思い返せば、「とんぼ」が流行ったすぐ後に、日本は「平成」という新時代を迎えました。
とんぼの歌詞は現代の若者からすると少し感覚が違うかもしれません。
しかし、希望を胸に新天地に飛び込み、理想と現実に悩みながら大人になる…。
それは場所や時代が変わっても若者にとっては普遍的な試練なのかもしてません。
長渕剛の名曲「とんぼ」が、これからの若者たちが、東京に限らず地方や海外など新天地の中で、苦難を乗り越え、夢を諦めず前に進むための応援歌になってくれることを期待したいです…。
【関連記事】
寺尾聡「ルビーの指環」の歌詞の意味を考察!歌われた時代背景は?
久保田早紀「異邦人」の歌詞の意味を考察!シルクロードのテーマが副題!
日本ぶろぐ村