この記事はかぐや姫の「神田川」の歌詞の意味を時代背景と共に考察します。
1970年代初期を代表する青春ソングの「神田川」、当時の若者たちが今もこの曲を聴くと哀愁と懐かしさを感じます。
今の若者たちもこの名曲「神田川」を一度は耳にしたことがあるはず…。
哀愁を感じるメロディーと歌詞に魅かれるのではないでしょうか。
それでは、かぐや姫「神田川」の歌詞の意味を読み解いていきます。
かぐや姫「神田川」はどんな曲
【神田川】
アーティスト:かぐや姫
作詞:喜多条忠
作曲:南こうせつ
リリース: 1973年9月20日(日本クラウン)
★チャート最高順位
週間1位、1973年度年間6位(オリコン)
かぐや姫(当時の名称は、南こうせつとかぐや姫)の「神田川」は、1973年(昭和48年)9月20日にシングルが発売。
当時のメンバーは南こうせつ、伊勢正三、 山田パンダの3人。
当初、この作品はアルバム『かぐや姫さあど』の収録曲の1つでした。
南こうせつがラジオ番組で紹介したところ話題となり、急にシングル・アルバムが同時発売となりました。
1973年度のオリコン・シングルチャートでは年間ランキング6位、販売枚数は57.9万枚を記録しました。
かぐや姫「神田川」の歌詞の意味を考察
「神田川」の作詞の喜多條は当時、早大を中退して放送作家を目指し活動中のところを南こうせつから詞を依頼されました。
タクシーで早稲田通りの小滝橋を通りがかったとき、ふと19歳の頃に三畳一間のアパートで早大生の彼女と同棲した日々が脳裏をよぎりました。
その部屋の窓からは汚れた神田川が見えていて、一気に詞を思いついたそうです。
すぐに、南こうせつに電話で詞を伝えたところ、こうせつは詞をメモっている最中にどんどんメロディが湧いてきて、電話を切って3分後には「神田川」はほぼ完成していたとのことです。
「神田川」は作詞の喜多条の過去の想い出がモデル。
女性の言葉でつづられる歌詞には当時の若者にはとてもリアリティがあり、共感を呼んでヒットしたのでしょう。
当時、学生が入るアパートは風呂ナシなんて当たり前、共同トイレのアパートも数多くありました。
特に学生や喜多条のように夢を追い都会で1人暮らしをする若者はぜいたくするお金なんてありません。
ほとんどが三畳一間のアパートでの貧乏暮らし、それも厳しくて1部屋を何人かで同居とか、彼女と同棲するというのも珍しくありませんでした。
お風呂屋さん通いも日常のこと。
もちろん、今人気のスーパー銭湯ではありません。
昔ながらの風呂オンリーのお風呂屋さん。
東京のお風呂屋さんの平均的入湯料は40円前後。
おそば1枚100円程度の時代。
おそば1枚の値段でお風呂に2回行けるのです。
お金がない若者は週に何度かお風呂に通うのがやっとでした。
神田川の詞の中の恋人同士は狭いアパートで貧乏生活、週に何度か2人でお風呂屋デートを楽しんでいたのでしょう。
既にそれは想い出の中、アナタはもう忘れちゃったかな?
と過去を振り返る女性のフレーズで語り始めます。
「神田川」の歌われる季節は秋口か冬、少し寒くなってくる頃。
手ぬぐい(タオルは高価なので)をマフラー代わりにお風呂デートに行きます。
ちろん男女別ですから一緒に入るわけではないのですが…。
入口で時間を合わせて入浴し一緒に帰るのも小さな幸せだったのです。
女は長風呂と言いますが当然、個人差があります。
彼女は彼を待たせないよう、時間通りか少し早めに出てきますが…。
いつも彼が長風呂!分かっていても彼女は先に出て待ちます。
きっと神田川を眺めながら「遅いなぁ~湯冷めしちゃう!」と思いながらも彼が出て来た瞬間、今で言えば「萌え~!」、風呂萌えです。
季節的に待ち時間が長くなるほど急速に身体は冷えます。
後から出てきた彼はまだポカポカかもしれませんが…。
彼女は寒さで震えて抱えた洗面器の中の石鹸箱はカタカタ音を立て、長い髪は毛先まで冷えて…キューティクルが台無しです。
それ以前に風邪をひきます。
「冷たいね…」って…当然じゃ!
アンタのせいだよ!と言いたくもなりますが…。
彼女はわずかな時間のお風呂デートで彼と一緒なことが嬉しいのです。
健気なことに「優しい」と思ってしまいます。
歌詞の後半に出てくる「あのクレパス」はどこに行ったのでしょうね?
クレパスとは文具メーカー「サクラクレパス」の登録商標。
いわゆるクレヨンの商品名です。
厳密にはクレヨンとクレパスでは成分や使い方の違いはありますが見た目が似ています。
どちらにせよ24色を買うには若者にとってそれなりの出費だったことでしょう。
小さなアパートで2人はこの24色のクレパスでお絵描きも楽しんでいます。
似顔絵がちっとも似てない、そんなことで笑い合う小さな幸せを噛みしめます。
窓の外には神田川が流れています。
その川は高度成長期に生活用水や工場用水のおかげで、濁り荒れています。
住む部屋も狭く、窓を開けても汚れた神田川と都会の排気ガスや光化学スモッグ。
どこを見ても素敵な景色もゆとりある生活でもありません。
ただ、2人で一緒に居られること事だけがささやかでもひときわ輝く幸せの風景。
未来への不安、貧しい生活、きっと若い彼女の指先は学業とバイトと生活の苦労で荒れていたのでしょう。
ハンドクリームよりも日々の“飯”優先です。
「悲しいか?」とつぶやく彼…。
優しい思いやりのある言葉が日々の苦しさから彼女を救ったのです。
若かった、若いから小さな彼の優しさだけで十分と思えた。
何にも怖くない、この幸せがいつまでも続けば何もいらない。
けれど、内心はこの幸せが近い将来、終わりが来ることを悟っています。
彼の優しさを感じれば感じるほど、手放す日の苦しみが怖くてしかたなかったのでしょう。
誰もが人生の中に忘れられない恋があります。
「神田川」に登場する彼女にとって、あの貧しくても輝いていた若き日の恋は一生忘れられない恋。
彼女が歌詞を語る時点でそれはもう、予想通り過ぎ去った輝きだったのでしょう。
かぐや姫「神田川」の歌われた時代背景は?
「神田川」が若者たちの心をとらえた1973年は昭和48年、今から50年近く昔です。
多くの若者が社会に疑問や理不尽さを感じ、自分の心を歌に託すべくミュージシャンに憧れました。
当時はフォークソングの最盛期。
かぐや姫同様に吉田拓郎、井上陽水など、この時代の音楽をけん引したミュージシャンも生み出しました。
この年、第一次オイルショックが起こり日本だけでなく世界中の経済が混乱しました。
原油価格の高騰で原油を材料に使うモノ全てが品薄となり価格も上がり生活に影響を与えました。
お母さんたちが、洗剤やトイレットペーパーを必死になって買い求める姿が今も当時を振り返る映像で流れています。
“お1人様1つまで”の店の決まりに一家総動員でスーパーや商店の開店とともに駆け込み、買い込んでいました。
かぐや姫「神田川」の川の場所はどこ?
神田川はご存知の方もおられる通り、神田川は実在する河川です。
源流は東京都の井の頭恩賜公園の井の頭池。
そこから東京都の台東区、中央区、墨田区と流れ、両国橋付近で隅田川に合流します。
JR中央線、総武線の車窓からも神田川を眺めることが出来ます。
1960年代から1970年代の高度成長期に神田川は「死の川」という異名が付けられるまで水質が悪化。
ゴミや生活用水で川は真っ黒、川底はヘドロだらけ。
生物など生息出来ないほど臭く汚れ、おまけに台風で反乱し洪水にもなる荒れようでした。
とても名曲に登場する川には不相応な姿。
しかし、近年になり下水道網、下水道処理施設の整備で川の水質は大幅に改善。
次第に鯉(こい)や鮒(ふな)などが戻ってきました。
1993年には清流にしかいない鮎(あゆ)も確認され、今では東京の自慢の河川に復活。
春に神田川でお花見をする人々も戻ってきました。
汚れきった川が何とか元に戻るまで半世紀以上も時間がかかりました。
まとめ
多くの世代に慕われる名曲、かぐや姫の「神田川」の歌詞の意味を考察しました。
昭和中期、この時代を知らない若い世代の方も…。
この曲から昭和の学生たちの生活や夕暮れのノスタルジーのような雰囲気を感じ取ることができませんか?
今の時代、若者が上京して1人暮らしをする上では風呂トイレはほぼ常設。
特に娘ともなれば親御さんは防犯にも気を使います。
もしも、神田川の歌詞のような住居なら「やめなさい!」の一言で却下。
当時のセキュリティーといえば、とりあえず扉とカギがあればほぼOK。
当時と比べれば今は安全で快適な時代になりました…。
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