太田裕美「木綿のハンカチーフ」の歌詞の意味を考察!時代背景は?

昭和歌謡
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この記事は太田裕美「木綿のハンカチーフ」の歌詞の意味を時代背景を含めて考察します。
「木綿のハンカチーフ」は1970年代の昭和歌謡の大ヒット曲のひとつです。

あなたもこの記事を読めば「木綿のハンカチーフ」の歌詞の意味や当時の時代背景などを知ることができます。

いま昭和の名曲が再び注目されています。
懐かしい曲が多くのアーティストにカヴァーされ、アレンジを変えて流行したり…時が経っても名曲は必ず蘇るのでしょう。

今回、ご紹介するのは1976年のヒット曲「木綿のハンカチーフ」。

太田裕美「木綿のハンカチーフ」とはどんな曲?

【木綿のハンカチーフ】

アーティスト:太田裕美

作詞:松本隆  作曲:筒美京平

1975年12月21日リリース(CBS・ソニー レーベル)

太田裕美の「木綿のハンカチーフ」が発売されたのは1975年12月末。

年末にリリースされたため、この曲が注目されたのは翌年。
1976年のヒット曲となります。その年の紅白歌合戦にも出場。

当時でも珍しい1~4番と長い楽曲だったので、さすがにフルコーラスで披露はされませんでしたが、この曲はフルコーラスを聞いて初めて歌詞に込められた物語を知ることが出来る小説のような作品。

オリコンの累計売上枚数86.7万枚。今の音楽業界では考えられないセールスとなりました。
今でも太田裕美自身のライブで唄われ、今も多くのアーティストがこの曲をカバーしています。

当時を知らない若者達でもこの曲に共感を持つ人が多くいます。
ところが「木綿のハンカチーフ」はこんなにもヒットしながらも、オリコン1位にはなれませんでした。

その要因の1つは、今もなお、日本の華陽史上最大のヒット曲である、あの「およげ!たいやきくん」という対抗馬も存在していたのです!

「たいやきくん」は日本中の老若男女に愛された名曲。そして他にも今も歌い継がれる名曲がたくさん生まれた時代でもありました。

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太田裕美「木綿のハンカチーフ」の歌詞の意味を考察

この歌詞は男性と女性の2人の掛け合いのように語られています。

音楽の歌詞はデュエットでもない限り大抵は1人の言葉や想いで綴られますが、この曲は2人の主人公、彼と彼女の手紙のようなやり取りで構成されています。

1番の前半で主人公の“彼”は夢と憧れを胸に都会へ(おそらく西日本のとある町から東京へ)上京。
そして、残していく恋人に都会のハイセンスな贈り物をしようなんて思うわけです。

後半は“彼女”のパートになり、浮かれポンチ気味の彼とは裏腹に離れていく恋人に行かないでとは言えず、せめて「何もいらないから都会かぶれしないで、そのままで帰ってきて」と純粋で切ない想いを投げかけます。

彼もまだ、彼女との未来を信じて旅立ったと思われます。

2番ではすでに半年が過ぎています!
会えないけど、その代わり指輪でも送るよ!なんて、案の定ジワジワと都会かぶれ。

都会で1人ヨロシクやっている穴埋めを流行りのシャレオツな指輪で、と企みます。
まぁ~彼にはまだ高価な指輪は買えなかったでしょうが…

けれど彼女は指輪で買収をされるような娘ではありません。
どんな高価なものより近くのアナタの存在に勝るものはない、という想いを伝えます。

この頃には彼の心には確実に彼女が存在し、都会に魅せられている後ろめたさも感じられます。

3番では…彼の都会かぶれはさらに拍車が掛かっています。きっと給料も上がったのでしょうね。

「見て!僕のスーツ姿」と頼んでもいないのに写真を送ってきます。

君は化粧とかしてないの?少々田舎者扱いしてるのでしょうか?上から目線。
それとも都会の喧騒の中で彼女だけは変わらないでと、望んだのでしょうか?

それに対し彼女は写真の感想の代わりに「草に寝転ぶアナタが好きだった」と。
そして最後に身体に気を付けてね…と締めています。

彼女の心にも諦めの想いが見え隠れ。
彼にも都会での新たな出会いもあったのかもしれません。

4番でとうとう2人は破局します。
彼の都会は超楽しい!もう帰えらない、キミの事も忘れていく、許して…ハッキリと別れを切り出しています。

一方、彼女はいつかこんな日が来ること予想していたのでしょう。
恨み言も言わず、縋りもせず、受け入れる代わりに彼女は彼に最初で最後の我儘、おねだりをします。

涙を拭くために「木綿のハンカチーフ下さい」と。
この言葉は健気のようで彼にとっての最大の恨み節とも取れます。

都会で生きる彼と故郷で待つ彼女の遠距離恋愛の物語。
当時は帰省には時間もお金もかかり盆暮も今のように容易には帰れない若者が殆どです。

電話も滅多にできません。上京し最初は下宿とか風呂なしボロアパートが定番。部
屋に電話を引くなんて…当時の平均的な新入社員の給料では無理です。

下宿をしていたのなら、かかって来た電話は大家さんに取り次いでもらえますが、コードレスではない受話器と本体がコードで繋がった電話では大家さんに話しは丸聞こえ!

長電話は禁止です。公衆電話でもテレフォンカードなどありませんから、大量の10円玉を準備しても長距離であればあるほど、数秒で10円また10円と落ちて行き、あっという間に小銭は尽きますね。

当時は手紙が定番のコミュニケーションツール。
手紙という半ば一方通行なやり取りの中で都会の波にもまれ変わっていく者と、変わらずに帰りを待つ者。お互いの想いとすれ違う心がこの曲に秘められています。

また、この“彼女”は作詞した松本隆の理想の彼女像という説もあります。
愛する人を信じて待つ素朴で健気な可愛らしい女性に憧れた男性、同じような恋愛経験をした恋人たちもこの歌詞が深く響いたことでしょう。

太田裕美の甘い可愛らしい声が、彼を信じて待つ健気ないじらしい彼女の姿と心情を一層引き立てています。

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太田裕美「木綿のハンカチーフ」の歌われた時代とは?

では、この時代、世の中ではどんなものが流行したのか探ってみましょう。

音楽ジャンルでは子門真人「およげ!たいやきくん」を筆頭に、都はるみ「北の宿から」、山口百恵「横須賀ストーリー」、中村雅俊「俺たちの旅」二葉百合子「岸壁の母」、日本人ではありませんがダニエル・ブーン「ビューティフル・サンデー」など強豪ぞろいです。

ヒット商品では40年経った今でもおなじみの商品もたくさん登場しています。

「ペヤングソース焼そば」「カップスター」「シーチキン」お菓子では「ハイチュウ」「きのこの山」「チップスター」…みんなロングセラーですね!

東海道新幹線が岡山から福岡まで開通したのが1995年。
宅配便やコンビニもこの頃に登場しました。
映画では「ジョーズ」「オーメン」「ロッキー」などが大ヒット。

今では多くの家庭にあり、世界中で注目されている家庭用TVゲームも登場しました。
日本初のテレビゲーム機「テレビテニス」は子どもだけでなく大人も夢中になりました。

今ではコンブ茶と呼ばれ、消化器系に効果があると言われる「紅茶キノコ」も主婦たちに大ブームになりました。

今ではお馴染みのものや“元祖”が登場したのが、この時代です。

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まとめ

昭和歌謡1970年代の名曲、太田裕美「木綿のハンカチーフ」の歌詞の考察や当時の時代背景などを紹介しました。

「木綿のハンカチーフ」がヒットしたのは1970年代中頃、第一次オイルショック後に日本が再び成長していく最中。

都心と田舎では時の流れる速さも違います。その中で流されながらも、いつか本当の意味で大人になる、そんな恋人たちの姿も描かれています。

サヨナラの代わりに、最初で最後のおねだり「木綿のハンカチーフ」は彼女に届けられたのでしょうか?

それから40年後の今、この2人がそれぞれ、どんな人生を歩いていたのか?気になるところです…。

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