この記事は太田裕美「木綿のハンカチーフ」の歌詞の意味を時代背景を含めて考察します。
1975年発売のこの曲は、遠距離恋愛カップルの心情を歌い上げ、多くの人々の心を掴みました。
あなたもこの記事を読めば「木綿のハンカチーフ」の歌詞の意味などを知ることができます。
太田裕美「木綿のハンカチーフ」とはどんな曲?
【木綿のハンカチーフ】
アーティスト:太田裕美
作詞:松本隆
作曲:筒美京平
リリース:1975年12月21日リリース(CBS・ソニー)
★チャート最高順位
週間2位、1976年度年間4位(オリコン)
「木綿のハンカチーフ」は、1975年12月に発売された太田裕美の4枚目のシングルです。
1975年末にリリースされたため、この曲が注目され、ヒットしたのは翌年1976年。
1976年度のオリコン・シングルチャートでは年間ランキング4位、販売枚数は86.7万枚を記録しました。
太田裕美「木綿のハンカチーフ」の歌詞の意味を考察
この歌詞は男性と女性の2人の掛け合いのように語られています。
音楽の歌詞はデュエットでもない限り大抵は1人の言葉や想いで綴られます。
しかし、この曲は2人の主人公、彼と彼女の手紙のようなやり取りで構成されています。
1番の前半で主人公の“彼”は夢と憧れを胸に都会へ(おそらく西日本のとある町から東京へ)上京。
そして、残していく恋人に都会のハイセンスな贈り物をしようなんて思うわけです。
後半は“彼女”のパートになります。
浮かれポンチ気味の彼とは裏腹に離れていく恋人に行かないでとは言えません。
せめて「何もいらないから都会かぶれしないで、そのままで帰ってきて」と純粋で切ない想いを投げかけます。
彼もまだ、彼女との未来を信じて旅立ったと思われます。
2番ではすでに半年が過ぎています!
会えないけど、その代わり指輪でも送るよ!なんて、案の定ジワジワと都会かぶれ。
都会で1人ヨロシクやっている穴埋めを流行りのシャレオツな指輪で、と企みます。
まぁ~彼にはまだ高価な指輪は買えなかったでしょうが…。
けれど彼女は指輪で買収をされるような娘ではありません。
どんな高価なものより近くのアナタの存在に勝るものはない、という想いを伝えます。
この頃には彼の心には確実に彼女が存在し、都会に魅せられている後ろめたさも感じられます。
3番では…彼の都会かぶれはさらに拍車が掛かっています。
きっと給料も上がったのでしょうね。
「見て!僕のスーツ姿」と頼んでもいないのに写真を送ってきます。
君は化粧とかしてないの?少々田舎者扱いしてるのでしょうか?上から目線。
それとも都会の喧騒の中で彼女だけは変わらないでと、望んだのでしょうか?
それに対し彼女は写真の感想の代わりに「草に寝転ぶアナタが好きだった」と。
そして最後に身体に気を付けてね…と締めています。
彼女の心にも諦めの想いが見え隠れ。
彼にも都会での新たな出会いもあったのかもしれません。
4番でとうとう2人は破局します。
彼の都会は超楽しい!もう帰らない。
キミの事も忘れていく、許して…ハッキリと別れを切り出しています。
一方、彼女はいつかこんな日が来ること予想していたのでしょう。
恨み言も言わず、縋りもせず、受け入れる代わりに…。
彼女は彼に最初で最後の我儘、おねだりをします。
涙を拭くために「木綿のハンカチーフ下さい」と。
この言葉は健気のようで彼にとっての最大の恨み節とも取れます。
都会で生きる彼と故郷で待つ彼女の遠距離恋愛の物語。
当時は帰省には時間もお金もかかり盆暮も今のように容易には帰れない若者が殆どです。
電話も滅多にできません。
上京し最初は下宿とか風呂なしボロアパートが定番。
部屋に電話を引くなんて、当時の平均的な新入社員の給料では無理です。
下宿をしていたのなら、かかって来た電話は大家さんに取り次いでもらえますが…。
コードレスではない受話器と本体がコードで繋がった電話では大家さんに話しは丸聞こえ!
長電話は禁止です。
公衆電話でもテレフォンカードなどありません。
大量の10円玉を準備しても長距離であればあるほど、数秒で10円また10円と落ちて行き、あっという間に小銭は尽きますね。
当時は手紙が定番のコミュニケーションツール。
手紙という半ば一方通行なやり取りの中。
都会の波にもまれ変わっていく者と、変わらずに帰りを待つ者。
お互いの想いとすれ違う心がこの曲に秘められています。
また、この“彼女”は作詞した松本隆の理想の彼女像という説もあります。
愛する人を信じて待つ素朴で健気な可愛らしい女性に憧れた男性。
同じような恋愛経験をした恋人たちもこの歌詞が深く響いたことでしょう。
太田裕美の甘い可愛らしい声が、彼を信じて待つ健気ないじらしい彼女の姿と心情を一層引き立てています。
太田裕美「木綿のハンカチーフ」の歌われた時代とは?
この曲が流行った1976年頃の昭和50年代初め、世の中ではどんなものが流行したのか探ってみましょう。
音楽ジャンルでは子門真人「およげ!たいやきくん」を筆頭に…。
都はるみ「北の宿から」、山口百恵「横須賀ストーリー」、中村雅俊「俺たちの旅」。
二葉百合子「岸壁の母」、ダニエル・ブーン「ビューティフル・サンデー」など強豪ぞろいです。
ヒット商品では今でもおなじみの商品もたくさん登場しています。
「ペヤングソース焼そば」「カップスター」「シーチキン」。
お菓子では「ハイチュウ」「きのこの山」「チップスター」…みんなロングセラーですね!
東海道新幹線が岡山から福岡まで開通したのが1975年。
宅配便やコンビニもこの頃に登場しました。
映画では「ジョーズ」「オーメン」「ロッキー」などが大ヒット。
今では多くの家庭にあり、世界中で注目されている家庭用TVゲームも登場しました。
日本初のテレビゲーム機「テレビテニス」は子どもだけでなく大人も夢中になりました。
今ではコンブ茶と呼ばれ、消化器系に効果があると言われる「紅茶キノコ」も主婦たちに大ブームになりました。
今ではお馴染みのものや“元祖”が登場したのが、この時代です。
まとめ
昭和歌謡1970年代の名曲、太田裕美「木綿のハンカチーフ」の歌詞の考察や当時の時代背景などを紹介しました。
「木綿のハンカチーフ」がヒットしたのは1970年代中頃、第一次オイルショック後に日本が再び成長していく最中。
都心と田舎では時の流れる速さも違います。
その中で流されながらも、いつか本当の意味で大人になる。
そんな恋人たちの姿も描かれています。
サヨナラの代わりに、最初で最後のおねだり「木綿のハンカチーフ」。
果たして彼女に届けられたのでしょうか?
それから40年後の今、この2人がそれぞれ、どんな人生を歩いていたのか?
気になるところです…。
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