この記事は、ガロ「学生街の喫茶店」の歌詞の意味を時代背景も含めて考察します。
1972年に発売されたこの曲は、当時の若者から旧若者世代にも圧倒的な支持を得て、大ヒットとなりました。
それでは、ガロ「学生街の喫茶店」の歌詞の意味を読み解きましょう。
ガロ「学生街の喫茶店」はどんな曲、メンバーは?
【学生街の喫茶店】
アーティスト:ガロ(GARO)
作詞:山上路夫、作曲:すぎやまこういち
リリース:1972年6月20日(日本コロムビア)
★チャート最高順位
週間1位、1973年度年間3位(オリコン)
ガロ (GARO) は、1970年デビューのフォークロックグループ。
メンバーは堀内護(MARK)、日高富明(TOMMY)、大野真澄(VOCAL) の3人。
「学生街の喫茶店」は1972年6月にガロの3枚目のシングルとして発売されました。
発売当初、ガロの3枚目のシングル「美しすぎて」のB面が「学生街の喫茶店」でした。
しかし、ラジオ番組で「学生街の喫茶店」が紹介され人気が急上昇してヒットとなりました。。
1972年度のオリコン・シングルチャートでは年間ランキング3位、販売枚数は76.2万枚を記録しました。
ガロ「学生街の喫茶店」の歌詞の意味を考察
今の時代ではあまり使われなくなった学生街という言葉。
読んで字のごとく学生の生活する街です。
今、学生が多く暮らす地域とは少しイメージが違います。
この曲がヒットした頃は学生街には、大学などに通いやすいように学生寮、安アパートなどが多かったのです。
安くて十分な食事を出す食堂、安居酒屋、本屋、レコード屋など。
たとえば、関東なら高田馬場、中野、吉祥寺、明大前など大学近隣の街です。
学生たちは大学に通いながら、アルバイトに明け暮れ“学生街”で青春を謳歌していました。
どこの学生街にも「喫茶店」があり、学生たちはコーヒー1杯で何時間も居座って将来の夢を語り合いました。
さて、「学生街の喫茶店」の曲の出だしは「キミとよくこの店に…」とあります。
主人公の男性は学生時代に彼女と行きつけの喫茶店に通っていたことを振り返ります。
当時の学生はデートなどにも喫茶店を利用、無駄話と世間話で距離を縮めていたようです。
当時、多くの飲食店では店内に有線放送を引き、店主の趣味や客層によってチャンネル選択し、音楽を流していました。
有線放送の良い所は電話でリクエストをすれば、希望の曲を流してもらえるところ。
ラジオ番組よりも早く確実に自分のリクエストが叶います。
ウォークマンさえない時代ですから、外出先で好きな音楽を聞きたい!と思えば即、有線放送です。
この店でよく聞こえて来たのはボブ・ディランの曲。
1962年にアメリカでデビューしたボブ・ディラン。
「風に吹かれて」「ミスター・タンブリン・マン」「天国への扉」など世界的ヒット曲を持つアーティスト。
音楽を目指す者にとっては神様的存在で欧米だけでなく、日本では吉田拓郎、井上陽水、桑田佳祐など後に一世を風靡するミュージシャン達に多大な影響を与えました。
この歌詞の中の主人公の男性はすでにもう学生ではなく、すっかり“普通の社会人”になっているのでしょう。
青春時代を過ごした学生街に何かの事情で、もしくは懐かしさに駆られて立ち寄った。
世間の荒波に揉まれセンチメンタルになった男性の青春回顧録です。
そこには今も、キミとよく来た喫茶店があった。
懐かしさのあまり当時の“いつもの席”でコーヒーを注文。
改めて店内を見渡すと客層は学生ばかりではなく、ビジネスマンや親子連れ、主婦グループも目立つ。
窓の外の風景も少し変わったけれど街路樹だけは、あの頃と変わらない。
ここから眺める秋に色づく木々の葉はこんなにも美しかったのか…。
変わらないのは店内の有線放送。
次々と流行歌が流れている。
ただ、いくら待ってもボブ・ディランの曲は流れてこないか。
…時は流れているんだな。
ここで友達と熱く語り合い、泣いて笑って喧嘩した青春の日々…。
そして、何よりキミのこと。
お茶を飲みながら、たわいのない話をいつまでも語り合った。
キミは今、どこで何をしているのだろう?
気づけばキミは僕の前から消えていた。
サヨナラさえも言えないうちに。
もしかすると、キミが喫茶店の扉を開けて入ってくるんじゃないだろうか?
カランカランというドアの音と共に…
まさか、そんな偶然があるわけない。でも、
こうしていると、そんな空想も現実になるんじゃないかと思えてくる。
青春時代は何もかもが目新しく目まぐるしく過ぎて、本当に大切な事には気づけなかった。
たとえ気づいていてもキラキラと輝く青春の日々の中で一番大切なものを選び掴み取る事はとても難しい。
…せめて、今キミが幸せであればいい…
窓の外では街路樹の枯葉が風に舞っている。
当時は気にも留めていなかったが…
今は窓ガラスの向こうで枯葉の奏でる微かな音を聞き取ることが出来る。
そう感じるのは自分が大人になったからだろうか?
あの頃は社会に反発し、流されないと固く誓っても、現実は厳しい。
ずっと変わらないつもりでも…そうだよね?
時は流れ続けているのだから
この曲のヒットした頃、きっと多くの喫茶店で「学生街の喫茶店」が流れて来たことでしょう。
今はカフェと言いますね。
店のイメージに合ったBGMか無音のカフェが多くなりました。
もし運よく有線放送が流れていたら、音楽の神様ボブ・ディランの名曲は聞けるかもしれませんが…。
名曲「学生街の喫茶店」を聴けることは稀かもしれません。
ぜひ一度、リクエストを!
ガロ「学生街の喫茶店」の歌われた時代背景は?
「学生街の喫茶店」がヒットした1973年(昭和48年)には誰もが一度は遊んだボードゲーム「オセロ」が大ヒットとなりました。
当時、家でゲームといえばボードゲームが定番。
そんな中で新たに登場したシンプルなのにとても頭を使うこの卓上ゲームに老若男女が夢中になりました。
必要なのは正方形に8×8のマス目のある盤と表裏を黒と白に塗り分けた丸くて平たいコマだけ。
プレイヤーは2人でも観ている人も熱中します。
海外でも人気となり各地で「オセロ大会」が行われました。
その代表的なものは1977年に開催された「世界オセロ選手権」。
現在も毎年行われています。
今はネットやスマホでも「オセロ」ゲームはありますが…。
たまには、テーブルに盤を置いて家族や友達と元祖「オセロ」を楽しんではいかがでしょう?
ガロ「学生街の喫茶店」の場所、モデルの店はどこ?
ボーカルの大野真澄は早稲田の街路樹をイメージし唄ったといいますが…。
作詞の山上路夫は「喫茶店に特定のモデルはない」と語っています。
それでも、この曲に魅せられたファンたちはモデルとなった喫茶店を探し様々な憶測が流れました。
JR御茶ノ水駅にある喫茶店「丘」、明治大学の近くにあった「レモン」は有力な候補と言われていますが、地方説もありました。
それから約半世紀。今では噂となった殆どの店が消えていきました。
有力候補の1つであった「レモン」は当時の場所でイタリアレストランになっているとか。
作詞者が「モデルはない」と言うならば、架空の店なのでしょう。
けれど架空であることもこの曲の魅力です。
この曲を聴いた人それぞれが想い出の中でイメージする喫茶店…。
それはいつ、どこにあっても構わない、自分だけの「学生街の喫茶店」となるのです。
まとめ
ガロの「学生街の喫茶店」の歌詞の意味を時代背景も含めて考察しました。
当時、ガロは「学生街の喫茶店」に続き「君の誕生日」、「ロマンス」が次々とヒット。
しかし3人での活動期間は1970~76年の僅か6年間。
80年代に堀内と日高の短期的なライブ活動もありましたが、結果3人それぞれの活動となりました。
1986年に日高が36歳で、2014年に堀内が65歳でこの世を去り、現在は大野だけが音楽活動を続けています。
ちなみに、作曲のすぎやまこういち、といえば歌謡曲のヒットメーカーとして有名。
実は、あの超有名ゲーム「ドラゴンクエストシリーズ」で殆どの音楽を担当。
ドラクエミュージックの生みの親です。
フォークソングからゲームまで、まさに魔法使いですね。
時が流れても、名曲は時代も年齢も問わず人の心に残るものです。
時代を感じさせないというだけでなく誰にも共感できる魔法が秘められているのでしょう。
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