沢田研二「勝手にしやがれ」の歌詞の意味を考察!ダンディーな大人の魅力 | カモシカおやじの趣味ブログ

沢田研二「勝手にしやがれ」の歌詞の意味を考察!ダンディーな大人の魅力

昭和歌謡
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この記事は、沢田研二「勝手にしやがれ」の歌詞の意味を考察します。

1977年に発売されたこの曲は、今も多くのファンを持つジュリーこと沢田研二の代表曲の一つです。

ダンディーに大人の色気たっぷりに唄う姿は魅力的です。

それでは、沢田 研二「勝手にしやがれ」の歌詞の意味を読み解きましょう。

 

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沢田 研二「勝手にしやがれ」はどんな曲

【勝手にしやがれ】

アーティスト:沢田研二

作詞:阿久悠

作曲:大野克夫

リリース: 1977年5月21日 (ポリドール)

★チャート最高順位
週間1位(通算5週、オリコン)、1977年度年間4位(オリコン)

「勝手にしやがれ」は当初1977年5月に沢田は研二の19枚目のシングルとして発売されました。

発売後、ヒットチャートをにぎわし、年間チャートでは4位を獲得しました。

沢田はこの曲で1977年大晦日の第19回日本レコード大賞・大賞を受賞しています。

シングル累計では89.3万枚ものセールスを記録する大ヒットとなりました。

 

沢田 研二「勝手にしやがれ」の 歌詞の意味を考察

1977年にリリースされたこの曲も、ジャン・ポール・ベルモンド主演の同名映画よろしく、沢田の端正な中にどこかうらぶれた、崩れた魅力を存分に生かした名曲となりました。

映画「勝手にしやがれ」の主人公、ミシェルは、恋人の裏切りも、野良犬のような半生も、人生の幕引きさえも、「全く。最低だ」の一言で片づけてしまいます。

 

この曲に登場する主人公も、人生の悲哀や鬱屈といったもの全てを、痛烈な皮肉の効いたユーモアで笑い飛ばしてしまうような、したたかさを感じさせます。

おんぼろアパルトマンの一室で繰り広げられる3分間のヌーヴェル・ヴァーグ、私たちもその世界を覗いてみましょう。

 

舞台の構成は非常にシンプルです。

裏通りにひしめく安アパルトマン、アイアンのベッドで寝息をかく男と、軽蔑しきった眼で見降ろす若い女。

 

泣き疲れたのか、女の青白い顔にはうっすらと隈が浮かび、マスカラの跡がついています。

女は男に背を向けると、塗料の剥がれたチェストから服を引っ張り出し、トランクに詰め込み始めました。

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乱暴に髪に櫛を通す音、冷たいタイルに打ち捨てられる衣擦れの音、コツコツと神経質に時を刻む、掛け時計の音。

固く目を瞑る男の耳に、聴き馴染んだ暮らしの雑音が、否が応でも響いてきます。

 

「あなたはいつもそう。そうやって聞こえないふりして、時間が解決してくれるのを待ってるのよ。私がこれまでどれだけ…」

 

女の小言も、今では生活の雑音と何ら変わりません。

今日の晩飯はどこで食おうかな。

カルチェラタンのカフェにしようか、モンマルトルのビストロにしようか。

彼の耳にクリアに届いたのは、この一言だけです。

「もう、終わりにしましょう!」

 

引き止めてもくれないのね。

背中越しに聞こえる、彼女の浅い息遣いが男に訴えかけてきます。

 

お前は俺が行くな、と、しがみつく、その瞬間を欲してるだけだろう。

男は深いため息で、女の問いに応えます。

 

この歌詞を読むと、男はまるで飼い猫を野放しにするような気軽さで、女との別れを受け入れているかのようです。

ドアの隙間はいつでも開けておくよ、あたたかいミルクも置いといてやる。

 

もしもいつか街中で、黒い尻尾を見かけたら、お前だと思う事にするさ。

しかし、コーラス前に見えるのは、主人公の言いようのない寂しさと強がりです。

グラスに水がぽつり、ぽつりと滴り落ち、満たされ、あふれだした瞬間…

女性という生き物は、相手への愛と信頼を全て捨て去ります。

 

主人公は彼女のグラスが、すでに満杯であることを気付いていました。

爪の先でつつけば、たちまち破れてしまう脆い膜。

 

それなら、せめて綺麗なままで終わらせたいと思うのは、人情だろう。

違うか?

主人公の問いかけが聞こえてきそうです。

 

2番では、さらに主人公の本音を掘り下げていきます。

トランクをぶらさげて、重い足取りで歩く女の背中には、今後の彼女の未来を暗示するかのような不吉な影が漂っています。

 

しかし、それでも男は、駆け寄り引き止めるような真似はしません。

あいつはそういう星のもとに生まれた女なんだ。

きっとまた、俺によく似た、ろくでなしに惚れるだろう。今度は俺より少しはましな男を選べよ。

 

もともとが、なし崩しに身を寄せあうだけの二人です。

愛の告白すら無い始まりなら、別れの言葉も無いのは当然のことでしょう。

 

しかし、ここで誰にもみせることの無かった男の本音が覗きます。

 

愛してなかったわけじゃない。

愛しているからこそ、本気になるのが怖かったんだ。

お前が望む、人並みの幸福というのが怖かったんだ。

太陽は、俺達には眩しすぎる…

 

穏やかな幸せに倦んでしまう自分をよく分かっていたからこそ、男は道化を演じていたのでしょうし、自分と同じ匂いのする女に惹かれたのでしょう。

 

そして、彼がレコードに針を落とした瞬間、私たちはモノクロームの静謐な世界から現実へと引き戻されます。

 

時は70年代、ソウル、ファンクといったブラックミュージック、モータウンサウンドが席捲していました。

若者の恋愛観もクールかつライトに変わりつつあった時代です。

 

洋酒で喉を焼きつぶし、気障な台詞で粋がってみせる主人公は、すでに時代遅れな感があります。

もう、彼も若くはないのでしょう。

 

酔いつぶれ、腰をくねらせながら踊る主人公の姿には、どこか自虐的なおかしさと哀しみが感じられます。

 

沢田自身は、「勝手にしやがれ」の大ヒットの後、斜陽とよばれる試練の時を迎えます。

しかし還暦を過ぎた今も、一貫して『粋な伊達男』の魅力は健在です。

『大人の男』のロールモデルが存在しない今だからこそ、温故知新で探ってみるのも面白いかもしれません。

 

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まとめ

沢田研二「勝手にしやがれ」の 歌詞の意味を考察しました。

沢田研二といえば1960年代後半の伝説のグループ・サウンズ(GS)『ザ・タイガース』のボーカルでした。

 

ソロのシンガーとなった後も多くの曲をヒットさせ、まさに大スターと呼びにふさわしい活躍をされました。

「ジュリーは指の先まで美しかった」とは、とある女性ファンの台詞です。

 

フランス映画の役者を彷彿とさせるような、華やかでも一癖ある顔立ちと、むせかえるほどに濃厚な色気。

わずかに鼻にかかった甘い歌声は確かに、沢田研二の真骨頂といえるものでしょう。

 

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