河島英五「時代遅れ」の 歌詞の意味を考察!

昭和歌謡
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この記事は、河島英五「時代遅れ」の 歌詞の意味を考察します。

河島英五は1975年、シンガーソングライターとしてデビューし、2001年に逝去するまで、一貫して自分の分身ともいえる、朴訥として不器用な男の姿を歌い続けてきました。

そんな不器用な男?河島英五「時代遅れ」の 歌詞の意味をひも解いていきましょう。

河島英五「時代遅れ」とはどんな曲?

【時代遅れ】

アーティスト:河島 英五

作詞:阿久 悠

作曲:森田 公一

編曲: チト河内・福井 峻

リリース:1986年8月27日(CBS・ソニー)

★1986年日本有線大賞 特別賞 受賞  

河島英五「時代遅れ」は、1986年8月に発売されました。

直後はそれほどヒットしませんでしたが、1991年6月にNHKの特別番組で取り上げられて多くの反響があり、人気が出ました。

河島英五は1991年の第42回NHK紅白歌合戦に「時代遅れ」で出場を果たしています。

「時代遅れ」は「酒と泪と男と女」と並んで河島英五の代表曲のひとつになっています。

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河島英五「時代遅れ」の 歌詞の意味を考察

この歌は、名もない男の一人語りで始まります。

まるで我が子に語りかけるように、時代遅れと笑われそうな己の姿をピアノの調べにのせて歌います。

武骨な太い指で奏でられる音色は、この歌に滲む、人間への優しい眼差しを表しているかのようです。

 

芯の強い人というと、体に太い鋼が通ったような人を思い浮かべる人は、多いかと思います。

しかし鋼の通った体は柔軟性に欠け、長年の雨風は鋼を腐食させてしまいます。

 

彼の体は、生命力に満ちた大きな大木のようです。

足の下には太い根が大きく網の目のように広がっています。

しなる枝葉は風を受け止め、その根は雨水を吸い上げ、大地をしっかりとつかむのです。

 

酒場の片隅で、大きな体を少しかがめて冷酒を飲み、はにかむように歌う男の姿は、在りし日の河島英五を彷彿とさせます。

 

「人との付き合い、腹六分」とは、よく言ったものです。

不用意に自分をさらけだせば、相手の背に重い荷物を背負わせることになり、相手の懐に飛び込めば、土足で心を踏みにじることになります。

心許せる妻とはいえ、もとは他人です。子はやがて、親の悪癖をそっくり真似するようになるでしょう。

 

言葉の刃は時に人を死にいたらしめます。

十字架は一人で背負うものであり、孤独は癒すものではありません。

それでも、胸の内からやりきれない思いがあふれるとき、やり場のない怒り、哀しみがあふれるとき、あふれた分だけそっと掬ってグラスに注いで帰るのです。

 

 

昔の酒場は、そうしたふるまいなら、知らぬふりをして許してくれる場所でした。

彼の語りは、身分相応というものを知らなければ出てこない台詞です。

自分を卑下することも驕ることも、結局はコインの裏表のようなものです。

 

そんな彼の瞳は、いつも相手の心にまっすぐに向き合い、心の芯まで射ぬくような強いまなざしをしています。

やさしさが偽善と知った時、人の痛みに触れた時、無償の愛に気付いた時彼は初めて、声を荒げ、涙を流し、抱きしめるのかも知れません。

声にならない獣の叫びに耳を傾け、自分と同じ名もない命に寄り添おうとする、優しさがかいま見えます。

純粋無垢とは、時に生まれたままの赤裸な心を意味します。

それは無知で恥知らずで、私たちが普段思う純粋のイメージとはかけ離れたものです。

 

彼はそれを野暮と表現しています。人の心を軽んじ、勝手な振舞いに甘んじる様は、彼の美学とはかけ離れたものです。

彼が今、口に含んだ酒のように、余分なものをそぎ落とし、清らかな水で洗い磨いて雑味をとることで、人間も旨味を増していくのでしょう。

他人を信じることは難しいことです。そこに何も確証はないからです。

人は、自分が思うほど強くも賢くもありません。鏡は、いつだって自分の見たい顔しかうつさないものです。

 

彼が友を信じるのは、誤解を恐れずにいうなら人のためではなく、自分のためです。

人は、自分が思うより簡単に、人として失ってはいけないものまで失ってしまうものです。

醜く弱い自分だからこそ、優しく、思いやりを忘れずにいようとする自分への矜持です。

 

そこに、人によく思われたい、そういった感情はみじんもありません。

友が変わってしまったなら、一言も責めずに、後を追うこともなく、立ち去るでしょう。

互いに交わることのない道を歩み始めただけのことです。

 

頭上を見上げれば豪奢な塔が無数にそびえ、足元を見下ろせば、飢えた鬼が這いつくばる。

自分は天上の民か、それとも餓鬼か。それは考えても仕方のないことです。

 

俺は人間だ。心の隅に、愛する人がいるから生かされている、俺はただのちっぽけな人間だ。

彼に問いかけたなら、そう答えてくれるような気がします。

物事の表面だけをなぞって掬い取り、自分のものさしであてはめる人々が、今日も彼の横を通りすぎていきます。まるで彼の存在が見えないかのように。

 

実際、大概の人は興味のないものは目に入らないものです。

彼の存在は、いないも同然なのでしょう。

しかし誰もが、血の通わないつるりとした顔をしている中で、彼は確かに、唯一無二の顔を持ち、そこに佇んでいるのです。

まとめ

河島英五「時代遅れ」の 歌詞の意味を考察しました。

周りに迎合する生き方は選ばず、自己を見つめながら不器用にも生き方にこだわる武骨な男の姿を描いた曲です。

河島英五のもう一つの代表曲「酒と泪と男と女」は、「時代遅れ」よりも約10年前の19歳の時分に書きあげられたものです。

早熟で、達観した人生観を持つ青年は、48年の短い生涯を駆け抜けました。

 

彼が天に召されてから20年の時を経ましたが、この歌は果たしてタイトル通りの時代おくれでしょうか。

むしろいつの時代も変わらぬもの、失ってはいけないものを語り続けた河島英五の、照れ隠しのようにも思えます。

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