髙橋真梨子「桃色吐息」の 歌詞の意味を考察!

昭和歌謡
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この記事は、髙橋真梨子「桃色吐息」の 歌詞の意味を考察します。

桃色吐息は1984年、髙橋真梨子の10枚目のシングルとしてリリースされました。

「ペドロ&カプリシャス」で若さゆえの苦い恋を歌っていた髙橋ですが、ソロ活動を始めてからは円熟という言葉がしっくりくる歌手となりました。

そんな髙橋真梨子「桃色吐息」の 歌詞の意味を読み解いていきましょう。

髙橋真梨子「桃色吐息」はどんな曲

【桃色吐息】

アーティスト:髙橋真梨子

作詞: 康  珍化

作曲:佐藤 隆

リリース: 1984年5月21日 ( Invitation )

髙橋真梨子「桃色吐息」は、1984年5月に発売されました。

ジュエリーで知られる『カメリアダイヤモンド』のコマーシャルソングとして一般に知られるようになり、その後に人気が出てヒット曲となります。

オリコンのデータでは1984年ランキングは週間では最高4位、年間では23位、シングル売上枚数は36.8万枚のヒットとなります。

髙橋はこの曲で1984年末の「第35回NHK紅白歌合戦」にソロ歌手として初出場を果たします。

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髙橋真梨子「桃色吐息」の 歌詞の意味を考察

 

この歌も若い娘には醸し出せない、背徳的な香りを漂わせた歌いだしですが、この歌詞にはどんな花が似合うでしょうか。

薔薇だと少々、ありきたりで少女趣味な気もします。牡丹だと豪奢です。

凛とした立ち姿にふくよかな花を咲かせる芍薬といったところでしょうか。

ややもすると粘りつくように扇情的になりかねないところを、千夜一夜(アラビアンナイト)の世界を思わせるような幻想的な詩でまとめられています。

 

千夜一夜の主人公、シェハラザードは巧みな話術で王の心を射止めることができました。

桃色吐息のヒロインは、愛しい人の心を射止めることはできるのでしょうか。

 

この歌は艶やかなタイトル通り、睦みあう男女のスケッチから始まります。

しかし即物的な描写を避けているためか、猥雑なものは感じさせません。

朱を刷いたように赤く染まる肌、気持ちの高まりを慎み深く表現しています。

 

二人がこぐ小舟は何の象徴でしょうか。

月明りも星も見えない夜の海に、小舟はあまりにも頼りなく、さざ波のひとつで飲み込まれてしまいそうです。

それでも彼女は船をこぎます。櫂を握る彼の姿が、闇に消えてしまっても、ひとり、暗く生温かい海に放り出されてしまっても。

そうして刹那的な秘めごとを繰り返してきたのでしょう。

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睦言は、螺鈿(らでん)を散りばめた宝石箱のように、きらびやかで美しいものです。

しかし、彼女は宝石箱の中は空っぽであることに気がついています。

 

体を結びつけることはできても、心を結びあうことはできません。

体も心もほどけたあとのささやきほど、信用できないものは無いことを、彼女は知っています。

 

「それでもいい」

彼女はきつく目を閉じ、ひたひたと満ちる潮に身を任せます。

彼女はもう若くはありません。

横たえるのは、南国の熟した果実のように、まろやかな線を描いた、重い肉体です。

 

かつて「秘め事はタナトス、小さな死である」と表現した人がいました。

彼女は、肉体の死、大きな死を自分事として、受け入れつつある年代にあたります。

人生を逆算して考えた時、死というものに指先が触れた時、人は何を思うのでしょうか。

 

最後のひとひらが落ちるまで、美しく咲かせて。偽りでも慰めでもいいの。醜く朽ちるのだけは嫌よ。女性の本能から生まれる叫びは、凄まじく、業の深さを感じさせます。

月明かりがさしこむ小窓は、心も結ばれる望みの象徴でしょうか。

闇夜にぽつりとまたたく星のように、それは、はかなげで頼りない、今にも見失いそうな小さな希望です。

彼にとって逢瀬とは、刹那の積み重ねでしかありません。

刻々と変わる月の姿は、彼の移り気な心をほのめかしているかのようです。

 

女性たちは、愛する人の心を少しでも長く引き止められるよう、呪文を唱えます。

呪いは、祈りです。

絶え間なく紡がれる愛の言葉は、蜘蛛の糸になり、傷つくたびに流れる涙は、石のつぶてに変わります。

しかし、彼女たちには繻子の糸、ダイヤモンドの粒にしか見えません。

惨めで、おろかだと思うでしょうか。しかし、あざ笑うにしては、あまりに悲しい祈りです。

 

蜘蛛の糸に絡めとられ、石のつぶてをぶつけられても、彼は女たちに優しく接します。

真剣に向き合う価値もない、そう思えば、響きのきれいな言葉で嘘をつくことは、赤子の手をひねるよりたやすいものです。

 

「それでもいいわ」

うそぶく彼女の胸に、また一輪、蕾がほころびました。花弁に弾かれた露は、金銀のきらめきを放ちます。

 

救いのない真実から目をそらすたびに、黒く濁る心と裏腹に、薄桃色の美しい花が咲き乱れます。

自尊心をないがしろにする罪の意識、決して手にすることのない愛への渇望。それらをまるで養分にしているかのようです。

 

冒頭で、何の花がふさわしいかというお話をしましたが、もしかすると咲いているのは蓮の花かもしれません。蓮は、観音菩薩が手にする花です。

 

汚泥の中から生まれた清らかな花。偽りの愛に対する赦しの証ともとれます。

もしくは、火遊びから生まれた罪の結晶ともとれます。

フランスの小話にこんなものがあります。

「若い娘は酸っぱく渋い葡萄の実。大人になれば、渋みも旨味に変わりワインとなる。

さらに成熟した女は、芳醇な香りを放つコニャックになるのだ」

 

しかし、知らなければいけないのは、ただ齢を重ねただけでは、青い実を腐らせるだけだ、ということです。

清濁をあわせ飲み、かみ砕き血肉にすることで、女性の魅力は深みを増していきます。

 

そう考えると、この恋の主導権を握っているのは、彼女かもしれません。

しかし、だからといって手のひらで彼を躍らせている彼女が、何も傷つかないわけでも、いつでも涼しい顔をしていられるわけでもないのです。

 

千夜一夜に出てくる王様は、愛を求め、愛に裏切られ、愛されることを諦めた哀れな男でした。桃色吐息の主人公は、シェハラザードというよりも、寧ろ王様と姿が重なります。

しかし、ただ愛を乞うだけの受け身で終わらないところが、女性の強さであり恐ろしさなのかもしれません。

まとめ

髙橋真梨子「桃色吐息」の 歌詞の意味を考察しました。

この曲は発売されてから40年近くも経ちますが、今聞いても色あせないどころか、その素晴らしさに改めて驚きます。

優れた作詞・作曲の魅力を髙橋真梨子の圧倒的な歌唱力が最大限に生かして大人の愛の世界を表現しています。

「桃色吐息」の作詞者の康珍化は、この作品で第26回日本レコード大賞作詞賞(1984年)を、作曲者の佐藤隆も同様にこの作品で第4回日本作曲大賞(1984年)を、受賞しています。

髙橋真梨子は「桃色吐息」の他にも良い曲がたくさんありますね。

なかでも筆者はペドロ&カプリシャス時代では「ジョニィへの伝言」「五番街のマリーへ」、ソロになってからは「はがゆい唇」、「遙かな人へ」、「ごめんね・・・」がお気に入りです。

ご存知でない場合は、よろしければ聴いてみてください。

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