ハイ・ファイ・セット「フィーリング」の 歌詞の意味を考察! | カモシカおやじの趣味ブログ

ハイ・ファイ・セット「フィーリング」の 歌詞の意味を考察!

昭和歌謡
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この記事は、ハイ・ファイ・セット「フィーリング」の 歌詞の意味を考察します。

この曲は3人組コーラスによる都会的で洗練された美しいハーモニーで1977年に大ヒットしました。

それでは、ハイ・ファイ・セット「フィーリング」の歌詞の意味を読み解きましょう。

 

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ハイ・ファイ・セット「フィーリング」はどんな曲

【フィーリング】

アーティスト:ハイ・ファイ・セット

作詞:なかにし礼

作曲:モーリス・アルバート

リリース: 1976年12月1日(東芝EMI / EXPRESS)

★チャート最高順位
週間2位(オリコン)、1977年度年間10位(オリコン)

「フィーリング」は1976年12月に、ブラジルのシンガーソングライター、モーリス・アルバートの原曲に、作詞家なかにし礼が詞をつけたカヴァー曲です。

3人組コーラスグループのハイ・ファイ・セットが歌うことによって、大ヒットしました。

1977年度のオリコン・シングルチャートでは年間ランキング10位、販売枚数は56.6万枚となりました。

 

ハイ・ファイ・セット「フィーリング」の 歌詞の意味を考察

メインヴォーカル山本潤子の透明感があり、真っ直ぐ通る歌声と、山本俊彦、大川茂の安定感のあるコーラスで生まれるハイ・ファイ・セットの美しいハーモニー。

一歩間違えると、おどろおどろしくなる禁断の恋をテーマとするこの曲に、涼やかさと清潔感を与えます。

 

Feeling」は、感情や考え全般に使われる、解釈が難しい単語ですが、ここでは「相性」「肌が合う」と捉えていきましょう。

非常に簡潔な歌詞ですが、恋愛の本質的なところを的確に表現しています。

 

歌詞の始まりにある一夜だけの契りは、行きずりの恋、不倫の清算、どんな形でも推測できますが、ここでの二人の背景は語るのも野暮と思われます。

彼女が語るように、「愛しあう二人が美しければ、それでいいわ」ということなのでしょう。

 

朱く色づいた葉が落ちる頃、不意に人肌恋しさに襲われたことはないでしょうか。

恋の終わりは、冬の訪れによく似ています。

 

身を寄せ合い木枯らしに耐える子狐のように。

お互いの肌の温もりを確かめあい、思い出をひとつひとつ懐かしむ睦みあいは、物悲しく、そこに卑猥さや汚らしさは感じられません。

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彼女が肌を許したのも、そのことに気づいていたからでしょう。

恋愛は長く続いたから、素晴らしいというものではありません。

たとえともに過ごした時間が数日であっても、生涯にわたり光となって心を照らすもの、影を落とすものも存在します。

 

「愛は所詮、幻なのよ」

山本の歌声のせいでしょうか。

哀しい強がりのように聞こえます。

 

雪が溶け、木の葉が芽吹き、花が咲き誇る。

日差しが照りつけ、雷雨がとどろき、やがて木々は実をつける。

 

そして、木枯らしが吹き、長い冬が訪れる。

自然は1日たりとも同じ顔を見せてはくれません。

 

人も自然のものとして生をうけた以上、常に流転し、変わりつづける運命にあります。

愛情もまた然りです。

それを変わらぬ姿のまま、繋ぎとめようとすれば、依存や束縛といったひずみが生まれることになります。

それならば、彼女のように、水面にうつる月として割り切った方が、賢明なのかもしれません。

 

この愛に深い意味なんてないわ。

重ねた肌が馴染んだだけ。

重ねた気持ちが馴染んだけ。

そんなことに涙を流すなんて、馬鹿げてる。

 

水面にうつる月は、ゆらゆらとおぼろに揺れて、はかなげで美しいものです。

その美しさの理由の一つに、実体がないこと、幻であることもあげられるでしょう。

しかし、その幻に魅入られ、末永く心を捕らわれることもあるのです。

 

二番の歌詞に、「愛とは男女が傷つけあうふれあい」だとあります。

傷つけあう事と触れあう事、矛盾しているように聞こえます。

しかし、愛することと憎むことが表裏一体であるように、これらもコインの裏表の関係といえます。

愛しているから独占したい。

 

他の人が傷をつけるのが許せない。

彼に傷跡を残していいのは私だけ。

恋愛は、人間のエゴを白日の下にさらします。

一方で、こんこんと尽きぬ泉のように慈愛を湧き出させるのも、愛の力と言えましょう。

相反する感情に引き裂かれながら、人は何らかの落とし所を探っていきます。

彼女の落としどころは、諦めだったのでしょう。

 

モーリス・アルバートの歌詞では、恋人に対する未練が綴られています。

君を忘れよう、忘れようと努めているのに、この両腕は再び君を抱きしめようとしているんだ。

君にもう二度と会えないと分かっているのに。そうさ、出会わなければよかったんだ。

それなのに、今でも君は永遠に僕のものであるような、そんな気持ちにもなるんだよ。

 

なかにしの詞とは対照的です。

小説家としても活躍したなかにしは、昭和を代表する作詞家のひとりとして、数多くの名作を送り出してきました。

 

なかにしが綴る女性像は「おんな」という文字がしっくりくるように、翳りと哀愁、湿り気を感じさせます。

 

例え明るく陽気に振舞っても、その健気さゆえにいっそう影が色濃くなるような、そんな女性です。

捨て鉢に、悪女のようにふるまっても、純情さが見え隠れする、そんな女性も書きました。

なかにしの生んだ女性たちは、戦後の昭和を生きた、名もない女性たちの群像だったのかもしれません。

 

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まとめ

ハイ・ファイ・セット「フィーリング」の 歌詞の意味を考察しました。

「フィーリング」がリリースされた70年代後半は、ニューミュージック全盛の時代。

これまでの歌謡曲や四畳半フォークとは一線を画す、メロウなのにからりと乾いて、小洒落たサウンドは、当時の若者の心を鷲掴みにしました。

 

しかし音楽の潮流が変わっても、なかにしは名曲を作りつづけます。

時代が変わっても、人の心は変わらない。月並みな言葉ですが、それに尽きるのかもしれません。

 

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