荒井由実「あの日にかえりたい」の歌詞の意味は?時代背景も含め考察!

昭和歌謡
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この記事は、荒井由実「あの日にかえりたい」の歌詞の意味などを時代背景を含めて考察します。

この曲を懐かしいと思われる昭和世代の方多いのではと思われます。

あなたもこれを読めば、荒井由実「あの日にかえりたい」の歌詞の意味を時代背景も含めて知ることができます。

それでは、ユーミンというニックネームで幅広い年代層に親しまれ、1970年代から現在まで長きにわたるスーパーアーティストの松任谷(荒井)由実。

デビューから約半世紀経った今もなお、常に青春を彩るユーミン初期の名曲「あの日にかえりたい」を振り返ってみましょう。

荒井由実「あの日にかえりたい」ってどんな曲?

【あの日にかえりたい】

アーティスト:荒井由実(松任谷由実)

作詞:荒井由実、作曲:荒井由実

プロデュース:村井邦彦

1975年10月5日 リリース  (EXPRESS レーベル)

「あの日にかえりたい」は1972年「返事はいらない」でデビューした荒井由実の6枚目のシングル。

この曲はTBS系ドラマ『家庭の秘密』主題歌として大ヒット。

他にも1975年三菱電機のステレオ、1980年アサヒペンタックスCMなどタイアップも多い楽曲だったため、広い世代に長く注目されました。

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「あの日にかえりたい」歌詞の意味を考察?

あの日にかえりたいの歌詞で印象に残るワードはいくつかありますが、あえてどれか1つ挙げるとすれば「青春の後ろ姿」。

青春を擬人化しているような不思議なワードではありますが誰もがその言葉に納得してしまいます。

主人公の女性は忘れられない、断ち切れない誰かを想っています。

きっと彼女はいわゆる青春時代を終えたか?終えようとしている大人の女性。

歌詞を最後まで読み解くと、おそらく彼女の生活圏は青春時代と違う場所。

夕暮れの都会の空を見てふと青春時代に過ごした場所や想い人を思い出します。

きっと日々の生活の中で傷ついたり苦しんだりしたのかもしれませんね。

だからこそ、心に封印したあの頃の想い人や若さゆえの我武者羅(がむしゃら)な生き方をとても懐かしく思ったのでしょう。

当時、想い出を振り返るのは写真です。

デジカメやスマホとかないので、昔の想い出の紙焼き写真。

忘れたくて、ちぎって捨ててしまおうと思っても捨てられず再び繋げてみると、そこには未来をまだ知る由もない自分の無邪気な笑顔。

「笑ってる場合か!」と過去の自分を憎たらしく感じています。

そう、その先を生きた自分はこんなにも切なく夢だけでは生きられないのに…と感じているのでしょう。

 

若く血気盛んな頃は何でも出来て、夢は自由に描けると思っていたのです。

夢や希望を信じて突き進んで行けたあの頃、大人になることはそんな単純ではなく悩みや苦しみとは常に背中合わせ。

今に至るまでに、それらを多く通過し、その感情を忘れなければ生きて行けないという現実を実感しています。

人間は忘れる生き物である…

理解してはいるけど、時にそれを思い出してしまえば、あの頃の無我夢中で突き進めるコワイモノ知らずの自分が羨ましく取り戻したくも思う。

それが“青春の後ろ姿”なのかもしれません。

青春を駆け抜けて、ふと振り返るとそこには確実に無防備な自分の姿が見えたのでしょう。

最初の大恋愛なのか?現時点で最高の大恋愛だったのか?

時が経っても写真を捨てきれない程の大切な人、彼女の想い人は青春を駆け抜けている間に彼女とは違う道を行ってしまった…。

傷ついて疲れて夕暮れの都会の空を仰いで、まったく違う景色の中に、若く幼い自分が夢見た空と似た何かを見つけたのかもしれません。

 

“あなたに会いたい”とはいえ、今想い人にも新しい人生を歩み、新しいパートナーもいることでしょう。そして彼女にも今の人生でパートナーが存在する。

最後のリフレインで“今、愛を捨ててしまう”とは、彼女の今の大切な人のことかもしれません。

若く無我夢中のあの頃のように自分の欲求だけで動き、彼の部屋のドアを叩き「元気だった?私よ!」と飛び込めば(修羅場の恐れも)…。

彼や彼のパートナー、そして自身のパートナーなどを傷つけてしまうかもしれません。

何より彼が自分と同じように想っているでしょうか?

そうでなかったら、自分も深く傷つくことでしょう…大人になった彼女にはそれは出来ないのです。

でも、この感情を伝えたかったのか?自分の心に決着をつけたかったのか?

小さなメモに書いた、涙のせいか?握りしめた汗のせいか?でにじんだ自分のアドレス。

(メルアドもLINEもQRコードもないですから「東京都○○区○○町~ 電話番号03-***-~」という今で言うバリバリの個人情報を)扉に挟み、直接会わずに去ります。

一見「後はキミに任せた!」という意味にも思えますが、最後に“あの日にかえる”という内容のフレーズは、もう1人でこの想いに決着をつけます!という意思表示かもしれません。

「あの頃の私ならもう一度あなたに会えるのに…」と。

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荒井由実「あの日にかえりたい」の流行った1975年とは?

1975年(昭和50年)とは、時代が急速に活気づく時代。

今に続く多くのものが登場した時代です。100円ライター、TVゲーム機、カセットVTR機…。

みな、改良され今ではおなじみのものとなりました。

でも若い方は「カセットVTR機って何?」と思われる方も多いでしょう?

今ではスマホ1つでどこでも何でも録画できますが、当時はそんなものありません。

映像を撮るというのは専門家やTV局などの仕事、一般的に稀でした。

大きな機械にビデオテープを入れ担いで録画したのです。

 

大抵の“想い出”を残す方法はフィルムで撮って紙焼きした写真が定番。

日本製の家庭用VTR機の登場で誰でもTV番組を録画できると世の中に知れ渡ったのはこの頃です。

とはいえ、なかなか高額で場所も取るし重いし、小型VTR機による撮影が一般化するのは、もう少し先の話でした。当時、アニメブームにもジワジワと火が付いた時期です。

この頃のアニメといえば、今も名作と言われる「フランダースの犬」や「一休さん」「勇者ライディーン」「ガンバの大冒険」。

そして「タイムボカン」などもこの年に放送開始となりました。

アニメファン、今で言うアニヲタが増え始めました。

アニメはまだ子どもの娯楽と思われていた時代、当時のアニヲタは少々肩身の狭いというか?

「いい歳してTVマンガ好きなんだ~」と言われてしまう事も多かったことでしょう。

歌姫ユーミンが誕生するまで

荒井由実は1954年、東京都八王子市で老舗呉服店の次女として誕生しました。

6歳でピアノ、11歳で三味線、14歳でベースを習ったそうで、やはり音楽と密接な環境に育ちました。

 

中学時代から西麻布のレストラン「キャンティ」に出入りして国内外のアーティストや文化人と顔なじみだったとか。それが後の歌姫ユーミンのデビューに繋がっていきます。

1972年に多摩美術大学の日本画科に入学しますが、同年に「返事はいらない」で歌手デビューします。実はその前年17歳で既に作詞家としてデビューしています。

ユーミンの曲には風景や自然、色を感じさせる詞が多いのは、美大で日本画を学んだことが作詞に大きな影響を与えていると本人も後に語っています。

1976年アレンジャーで現在のプロヂューサーである松任谷正隆氏と結婚。

以後、旧姓の荒井から名を改め“松任谷由実”として活躍を続けています。

 

他のアーティストに楽曲を提供する際には作詞者のペンネーム呉田軽穂を使う事も。

呉田軽穂とはユーミンが敬愛するハリウッド女優グレタ・ガルボの名にあやかったそうです。 

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まとめ

荒井由実「あの日にかえりたい」の歌詞の意味などを時代背景を含めて考察しました。

改めてこの曲に込められた作者の想いを感じ取っていただけたでしょうか。

「あの日にかえりたい」は現像した紙焼き写真とか、個人情報を自ら流出など今の時代には当てはまらないものも多く登場しますが、それは比喩のようなものですね。

時代は変わっても、形を変えてどんな時代のどんな人にも同じような経験を思い起こさせるのです。

青春時代を駆け抜け終わった人には自分に共通する何かを感じ、青春時代の真っただ中の人には「いつか、そう思う事があるんだろうか?」と考えさせられる青春という不確かな季節の物語。

それが名曲「あの日にかえりたい」…。

ユーミンの詞の世界はどの楽曲も素晴らしく、美しい景色と多くの人に共感させる言葉の数々。

彼女の楽曲の中には誰もが心の奥に封印した青春の記憶が今も息づいていることでしょう。

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