竹内まりや「駅」の歌詞の意味を考察! 中森明菜の歌との違いは? 

昭和歌謡
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この記事は、竹内まりや「駅」の歌詞の意味を考察します。

「駅」は、1986年に竹内まりやが作詞、作曲した中森明菜への提供曲です。

翌年、竹内によりセルフカヴァーされ、現在もスタンダードナンバーとして、数多くのアーティストに愛され、歌い継がれてきました。

それでは、竹内まりや「駅」の歌詞の意味を読み解いていきましょう。

竹内まりや「駅」とはどんな曲

【駅】

アーティスト:竹内まりや

作詞・作曲:竹内まりや

プロデュース:山下達郎

リリース: 1987年11月28日( ワーナー・パイオニア)

★チャート最高順位  週間18位(1991年盤・オリコン)

「駅」は、1991年には秋元康の映画初監督作品『グッバイ・ママ』の主題歌に使われ、同年に2度目のシングル発売となります。累計のシングル売上枚数は約13.3万枚です。

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竹内まりや「駅」の歌詞の意味を考察

黄昏時の小雨というと、季節は秋でしょうか。

この歌には、こっくりと深いダルトーン、褪せたような果実の色が似合います。

5分間という短い時間のなかに、一遍のドラマを収めたこの歌詞は、読み手のひとりひとりが主役です。それでは、私たちも舞台の幕を開けましょう。

 

「女性にとって、過去の恋は上書きされるもの」とは、よく聞く話です。

しかし、ことはそれほど単純ではありません。

 

きれいな思い出として美化されることがない代わりに、はるか昔のわだかまりやしこりも鮮明に覚えているものです。

女性たちは苦い記憶を飲み干して、一皮むけた自分になって新しい恋をするのです。

 

昔の恋人を見かけた時の、衝撃と後味の悪さは、言葉で表しがたいものがあります。思慕と拒絶で胸を引き裂かれそうな感情は、彼女も例外ではありません。

 

束の間、胸に広がる甘いミルクのような懐かしさは、たちまち苦く渋い珈琲のなかに沈み、消え去ってしまいます。ひと思いに飲み込んでも、黒いタールのような澱が残ります。

 

「私、今、幸せよ。この意味わかる?あなたは私の人生には必要なかったのよ」

今の彼女が出来る精一杯の復讐であり、成熟した大人の女性になるための禊でもあります。

しかし彼女はそうすることはしませんでした。

今更、彼を傷つけても虚しさと自己嫌悪しか残らないこと。そして、また、じわじわと、古傷に血が滲みだしたことに気づいてしまったからです。

 

2年間で変わったのは、彼の眼差しだけではないのかもしれません。

彼女の眼差しもまた、穏やかで、どこか諦めの色が漂う淡い色だったのではないのでしょうか。

 

小雨が降りしきる中、コバルトブルーに染まる車窓。疲れた顔でつり革にもたれる顔見知りの乗客。

変わらぬ日常とほんの少しの非日常を乗せて、電車は家路を急ぎます。

 

黄昏時の別の言葉は『逢魔が時』です。

夕焼けと宵闇が隣り合わせ、人間と魔物の世界が交差するひとときは、時に平穏な日常に楔を打ち込みます。

 

雨音はさらに激しくなり、無数の粒が窓をたたきつけます。

胸の底に沈んだ澱は、まだ消えてくれそうにはありません。

 

人は、誰かを愛することを覚えると、まず自分が望む通りの愛の形を手に入れようとします。

自分と同じ熱量の愛、ひとつのずれも無く、ぴったりと重なる愛です。

 

やがて人は、幾つかの別れ、幾つかの出会いを繰り返し、あちこち欠けたいびつな愛をふたつ、重ね合わせて慈しむことで、幸せが生まれることを学んでいきます。

 

ただ、はっきり言えるのは、受け止めることと、愛情で応えることは別物です。

 

彼女は薄々、気づいていたはずです。それを許していた自分から目をそらしていただけです。

冷静になれるだけの月日が経ち、今、自分が愛されている実感があるからこそ、当時の自分と向き合えたのかも知れません。

 

今の彼女の手の中には、繭につつまれ眠るような、丸くなめらかな幸せがあります。握りしめたらつぶれてしまいそうな、柔らかく小さな幸せです。

 

雨音が静まり、空が深い群青に変わる頃、彼女はそっと手鏡をのぞきこみます。

ひどい顔ね、こんなみじめな顔して歩いてたら、笑われてしまうわ。

 

小さくかぶりを振ると、つんと顎を上げて彼女は改札口に向かいます。

 

群衆のなかで見え隠れする彼の背中は、心無しか、疲れてるようで、あの頃より一回り小さく見えます。

もっと体の大きな人だと思ってた。

ふいに寒気を感じ、コートの胸元を搔き合わせると、きつくひだを握ったまま、彼女は足を速めます。

雨上がりの夜風は震えるほど冷たく、冬の訪れを告げに来たかのようです。

コツコツと靴音だけを残し、やがて彼女も雑踏のなかに消えていきました。

 

中森明菜「駅」を聞いた印象は? 

同じ楽曲でも中森明菜が歌う「駅」は、竹内が歌うversionとは全く違う景色を見せてくれます。

かすれた声でささやくように歌う明菜の「駅」は、透き通った哀しみに満ち、手を差し伸べないと崩れ落ちてしまいそうな危うさです。

主人公が彼の嘘に気づいたのは、彼女も自分を愛してくれる人に、優しい嘘をつき続けているからかもしれません。

そこには彼との再会に対する驚きよりも、今の自分と同じ匂いをさせていた彼への哀れみを感じさせます。

中森明菜が歌う「駅」もしっとりとした味わいがあります。

 

竹内まりやと中森明菜、それぞれに良さがありますのでご興味のある方はぜひ聴き比べてみてください。

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まとめ

竹内まりや「駅」の歌詞の意味を考察しました。

ジェリービーンズのような、弾ける『攻め』の恋が似合う竹内まりやですが、「駅」の憂いのあるマイナーコードの曲も重くなり過ぎず、竹内ならではの、フランス映画のような洒落た風合いに仕立てています。

絶え間なく綴られる日常に、束の間、開いた空白を切り取った「駅」。

彼との思い出も、今日の出来事も、小箱にしまい鍵をかけて明日を迎えるのでしょう。

竹内まりやの芯の強さを感じさせる歌声は、また明日からの人生を、凛として生きていく安心感を与えます。

竹内まりやの「駅」は、これまでもこれからも人々を魅了する名曲だと思います。

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