加藤和彦・北山修「あの素晴しい愛をもう一度」の歌詞の意味を考察

昭和歌謡
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この記事は、 加藤和彦・北山修「あの素晴しい愛をもう一度」の歌詞の意味を考察します。

1971年に発売されたこの曲は、抒情的な歌詞と、優しいメロディが老若男女問わず愛され、その後も様々なアーティストにカバーされています。

それでは、加藤和彦・北山修「あの素晴しい愛をもう一度」の歌詞の意味を読み解きます。

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加藤和彦・北山修「あの素晴しい愛をもう一度」はどんな曲

【あの素晴しい愛をもう一度】

アーティスト:加藤和彦・北山修

作詞: 北山修

作曲 :加藤和彦

リリース: 1971年4月5日(キャピトル / 東芝音楽工業)

★チャート最高順位
週間10位、1971年度年間46位(オリコン)

「あの素晴しい愛をもう一度」は1971年4月に加藤和彦・北山修の連名により発売されました。

この曲は発売後、半世紀を超えますが、フォークソングの名曲とされ、今もなお聴き継がれています。

作詞は北山修、作曲は加藤和彦が手がけました。

二人は伝説のフォークグループ「ザ・フォーク・クルセダーズ」のメンバーであり、短い活動期間でしたが、「イムジン河」「帰ってきたヨッパライ」などの名曲を生み出しました。

 

加藤和彦・北山修「あの素晴しい愛をもう一度」の歌詞の意味を考察

愛は、いつの時代も、誰にとっても普遍的かつ不可解なテーマです。

人の心は不思議なもので、「永遠につづくものなど何もない」と分かっていても、ひとたび恋に落ちると、「この愛は永遠につづくはずだ」と錯覚してしまいます。

この歌の青年も、「自分の命が続く限り、二人の愛の火は永遠に消えることは無い」、そう信じていたようです。

彼らは、足元に咲く小さな花にさえ、目をとめて美しいと感じる、鋭敏な感受性を持ち合わせていたのだから。

 

しかし、時の流れという隙間風が、二人の間を擦り抜けていきます。

二人の愛は、決して色あせないと信じていたのに・・。

 

『あの素晴しい愛をもう一度』

曲中に繰り返されるタイトルにもなっているフレーズは、彼の激しい慟哭のようです。

 

二番の歌詞にある「赤とんぼの詩」や、夕焼けを追いかけていく姿から想像するに、二人は幼馴染だったのでしょう。

互いに異性と意識する前から、いつも一緒にいた二人。

もしかしたら、彼女のほうが、彼より一足先に大人になってしまったのかもしれません。

この歌は、まだまだ無邪気な少年でいたい彼と、すでに大人の女性への階段を登り始めた少女とのすれ違い、とも読み取れます。

もしかしたら、二人の別れは、これが原因だ、とはっきり言えるものでは無かったのかも知れません。

 

男女の心は、するりと糸をほどいて解決できるような単純なものではありません。

だからこそ、古代から現代に至るまで、愛の難しさを綴る歌が長く愛されてきたのでしょう。

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さて、古代ギリシアの哲学に『人は絶えず、己の半身を求める』という言葉があります。

これは愛しあう二人の心情を表現するのに、非常に的確な表現です。

 

この哲学には、アンドロギュノスという概念があります。

「かつて、男と女は一つの完全体だった。しかし人間は神々の怒りを買い、二つの体に裂かれてしまったのだ」

哲学者プラトンの著書、「饗宴」による、人間の原型についての記述です。

 

恋に落ちれば、些細な心のずれさえも許せなくなる。

それは、どうしようもない人間の性(さが)です。

 

しかし、現実問題として、異なる命と体を持つ者同士が、ぴったりと隙間なく重なることは無いのです。

それでも、わずかな隙間も許さなければ、それは相手への束縛、支配となります。

彼女は、自分を縛る彼の腕の中から逃げ出したのかもしれません。

青年も、恐らくはもう気づいているのです。

隙間なく合致するような、心の空白を満たす愛なんてどこにも存在しない。

気づいてしまったからこそ、青年はせめてもの夢を見るのでしょう。

美しい過去には戻れない。

そして心の中で思うからこそ、過去は美しいもの。

 

だからこそ、あの美しい愛に満ちた日々に戻りたいと。

それが、自分の願望が生んだ、幻の日々と分かっていてもです。

大人になるということは、この歌にあるように、何の道しるべも無い広野に、自分だけが歩ける道を作っていくことです。

孤独にうちひしがれ、大地にこぼれた涙は、いつかこの地を訪れた人の心を慰める小さな花となるでしょう。

大変、過酷な作業ですが、大人は、その幻を心の安全地帯としているからこそ、明日を生きる希望を持ち続けられるのです。

 

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まとめ

加藤和彦・北山修「あの素晴しい愛をもう一度」の歌詞の意味を考察しました。

恋に落ちた主人公の青年。

相手の女性との心と心の通いあいが永遠に続くと思ったけれども、その想いはかなわなかった。

あの素晴しい愛をもう一度・・。という内容でした。

多くの人が経験するであろう若き日の恋ですが、なかなか思いどおりにはいかないもの・・。

不変的なテーマでもあり、人々の心をとらるのでしょう。

 

ところで、この歌を作曲した加藤和彦と、妻である作詞家の安井かずみは、誰しもが羨む、おしどり夫婦として有名でした。

しかし、1994年、かずみは病気のためこの世を去ります。

加藤が妻のもとへ旅立ったのは、それから15年後のことでした。

安井は美意識が高く、何事においてもこだわりがあり、一方で寂しがりやな面がありました。

加藤は安井に寄り添い、最後まで彼女の良き理解者であろうとしました。

今もこの歌を耳にすると、彼ら二人の姿が彷彿としてきます。

 

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