石川さゆり「津軽海峡・冬景色」の歌詞の意味を考察 | カモシカおやじの趣味ブログ

石川さゆり「津軽海峡・冬景色」の歌詞の意味を考察

昭和歌謡
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この記事は、 石川さゆり「津軽海峡・冬景色」の歌詞の意味を考察します。

冬の津軽海峡を青森から函館へと運ぶ青函連絡船を舞台にしたこの曲は、1977年に発売され、今でも根強い人気があります。

それでは、石川さゆり「津軽海峡・冬景色」の歌詞の意味を読み解きましょう。

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石川さゆり「津軽海峡・冬景色」はどんな曲

【津軽海峡・冬景色】

アーティスト:石川さゆり

作詞:阿久悠

作曲:三木たかし

リリース: 1977年1月1日(日本コロムビア)

★チャート最高順位
週間6位、1977年度年間16位(オリコン)

津軽海峡・冬景色は1977年1月に石川さゆりの15枚目のシングルとして発売されました。

1973年にアイドル歌手としてデビューした石川ですが、この曲で実力派の演歌歌手として、揺るがぬ地位を築きました。

石川の柔らかく伸びやかな歌声が、まるで映画の始まりのワンシーンのような、阿久悠の生み出す大人の悲恋を、情感豊かに表現しています。

オリコン・シングルチャートでは1987年度年間ランキング16位、売上枚数は50.9万枚を記録しました。

 

石川さゆり「津軽海峡・冬景色」の歌詞の意味を考察

「ああ、雪の匂いがする」

列車が青森駅に着くと、主人公の女は、小さく身震いして、淡い薔薇色のストールを深く合わせました。

薔薇色とごく淡い墨色を混ぜたような、くすんだ薄灰色の空。

夜も遅いというのに、辺りは、ぼんやりと薄明るく不吉な物すら感じさせます。

東京では、まず見ることの無い北国・青森の空の色です。

 

1908年に鉄道連絡船として生まれた青森駅と函館駅を結ぶ青函連絡船はかつて、本州と北海道を結ぶ動脈と呼ばれました。

しかし、1973年の旅客数をピークに、連絡船は衰退の一途をたどることになります。

 

彼女が乗船したのは、1977年の終わり。

栄華を誇った青函連絡船の翳りが色濃くなった頃でした。

 

誰もがうつむきがちに、黙々とタラップを上がる中、ふと埠頭の先に目をやると…。

カモメが数羽、灰色の冬羽を丸々とふくらませ、首をすくめて、じっとしています。

 

「ウミネコにそっくりだわ」

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カモメが渡り鳥であるのに対し、ウミネコは、ほとんどが季節による移動をしない留鳥(りゅうちょう)です。

彼女に馴染みが深かったのは、ウミネコでした。

 

「あたしは、渡り鳥にはなれない」

 

都会の生活にも、都会の男にも馴染むことのできなかった自分。

東京の水に洗われて、幾分は垢抜けたつもりでした。

しかし、いくら遊び慣れた女を気取っても、芯には北国の女特有の、頑なな潔癖さがありました。

 

 

「あたしはウミネコ。カモメには、なれなかったよ。」

 

どこまでも飛べる強い羽を手に入れても、すぐに磁石に引き寄せられるように、ハマナスの咲くあの港に戻ってきてしまう。

人目もはばからずに女は、ぼろぼろと涙を流しました。

 

カモメは、ウミネコよりも穏やかで、優しい目をしていました。

ウミネコの目の鋭さは、いつかこの街も生まれ育った過去も捨ててやる、と。

 

ひとり、固く唇を結び、潮風に髪をなびかせながら、黄金色に輝く海を見つめていた、娘時代の自分と重なります。

 

彼女の故郷は、路面電車が走る、坂の多い港町です。

八幡坂の並木通りから見下ろせば、青い海の向こうに青函連絡船が、汽笛を鳴らしながら遠ざかるのが見えました。

無邪気に手を振り、小さな点になって消えていく連絡船を見守っていた、あの時代…。

 

そんな自分がこうして、連絡船に揺られている。

あの頃の思い出は、夕日の色も、並木の緑も、空も海もあんなに色鮮やかなのに、どうして私は今、無彩色の世界に生きているのだろう。

 

「随分、洒落た街で育ったんだな」

 

そう言って、オレンジ色のシャンデリアの下、煙草の煙を吐き出したのは、かつて彼女が愛した人でした。

 

「よそゆきの顔よ。あなたも、あの街で生まれ育ったのなら、きっと気づくわ。

いくら華やかな化粧で彩ったって、斜陽の虚しさや、うら寂しさは消せはしない。

それが函館という街なの」

 

「ふうん。俺には分からんな。

まあ、雪が積もった朝は嬉しかったけどな。そんなもん、数えるほどしか無いや」

 

この人にも子供時代なんてものがあったのか。

女の密かな驚きをよそに、紫煙は、柔らかな淡い灯にゆらゆら溶けて、あとかたもなく無くなりました。

 

 

「お母さん!島が見えるよ!」

子供の無邪気な声で、女はハッと我に返りました。

「坊、島でないよ。竜飛岬っていうの。内地のはずれさ」

 

母親らしき女性の声につられ、つい素手で窓を拭いたことを、女は後悔しました。

手のひらがじーん、と痺れてきます。

 

「おとうちゃん、坊のこと待っとるからね。

いい子にしとったら、めんこ、めんこしてくれるからね…。

ごんぼほったら(強情をはったら)いけないんだよ、ね…」

 

長旅のせいか、少し疲れたような、低くかすれた、母親の声は、静かに女の胸に染みていきました。

しかし、それも束の間、ひときわ大きな風の音がかき消してしまいます。

 

「仮初めの慰めに身をゆだねるな。」

まるで鉄のつぶてのように、体の芯までなぶりつくすような猛吹雪は、何度、愛の言葉を交わしても、奥底では一度たりとも心を許すことがなかった、一言を彷彿とさせます。

 

どこにもやり場の無い怒りと悲しみが、女の胸から、どくどくと溢れだしました。

 

「あんたとの思い出は全部、この海に捨てていくわ。

もしも、あたしが恋しくなったなら、思い出のかけらを暗く冷たい海の底まで、拾いに行きなさい。」

 

彼女たちを隔てる海は、二度と通い合うことのない心情の象徴でしょうか。

この連絡船のなかで、どれだけの人々が涙を流したことでしょう。

 

1988年、連絡船は、幾多の人生の欠片をその船体に刻み付けたまま、ひっそりと80年の歴史に幕を閉じたのです。

 

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まとめ

石川さゆり「津軽海峡・冬景色」の歌詞の意味を考察しました。

主人公の女性は夜行列車で上野駅から秋田駅まで行き、そこから青函連絡船に乗り、津軽海峡を越えて故郷の北海道へと向かいます。

強い風で荒れる津軽海峡の海、彼女は乗船の際に埠頭の先に、こごえそうなカモメを見つけ、自らの姿に重ね合わせます。

そして、波に揺られる船の中…、彼女はかつて愛した人へさよならを告げます。

深い海の底へとやるせない気持ちを沈めるように…。

 

そうした心情を石川さゆりが抜群の歌唱力で歌い上げます。

いつまでも聴き続かれていってほしい名曲のひとつです。

 

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