この記事は、薬師丸ひろ子「セーラー服と機関銃」の歌詞の意味を考察します。
映画『セーラー服と機関銃』は1981年、当時高校生だった女優・薬師丸ひろ子の出世作です。
映画と同名の曲も歌手デビュー曲として大ヒットし、薬師丸ひろ子は映画・曲ともに一世を風靡します。
それでは、薬師丸ひろ子「セーラー服と機関銃」の歌詞の意味を読み解きます。
薬師丸ひろ子「セーラー服と機関銃」ってどんな曲?
【セーラー服と機関銃】
アーティスト:薬師丸ひろ子
作詞:来生えつこ
作曲:来生たかお
リリース: 1981年11月10日(キティレコード)
★チャート最高順位
週間1位、1982年度年間2位(オリコン)
「セーラー服と機関銃」は1981年11月に発売された薬師丸ひろ子のデビュー曲です。
作詞・作曲は来生えつこ・来生たかおの姉弟コンビ。
「セーラー服と機関銃」は映画と共に曲も大ヒットし、1982年度のオリコン・シングルチャートでは年間ランキング2位、販売枚数は69.6万枚を記録しました。
「セーラー服と機関銃」の歌詞の意味を考察
セーラー服の少女が機関銃をぶっ放し「カ・イ・カ・ン…」。
そんなシチュエーションは現実にはあり得ない衝撃的なシーンですが、当時は流行語にもなった名シーンです。
映画の宣伝、販促物やDVD(当時はビデオ)のジャケットにもなり、現在に至るまで映画紹介でも必ずといっていいほどこのシーンが使用されています。
原作は赤川次郎の同名小説、この作品で赤川次郎も超人気作家になりました。
映画の内容は…。
突然、父を失った少女が、ワケあってヤクザの男たちを従えて父の死の真相を知るため、組の存続のためヤクザの組長として立ち上がるストーリー。
キーワードは少女とヤクザと機関銃、なんともアンバランスに見える物語の中に思春期の少女の強さと健気さが見えました。
ではこの曲の歌詞を読み解いてみましょう。
主演女優の薬師丸ひろ子が歌う、この物語の主人公の少女のつぶやきのようにも聞こえますが…。
よく聴いてみると、この曲は少女を見守る男性目線の曲だということがわかります。
とはいえ、薬師丸ひろ子のささやくようで強い意志が感じられる歌声は主人公の少女の心情にも聞こえます。
サヨナラは別れの言葉じゃない。
それは、別れねばならない発信者である男性の自分への言い聞かせにも聞こえます。
また会える、いつか必ず会える。
少女は今いた“夢見た場所”から新たなステージに向けて歩き出すのでしょう。
少女にとって、ここで夢が成しとげられたのか?
理想と違ったのか?迷い道だったのか…?
それは語られていませんが、とにかく少女はもう、ここに留まっていることは出来ないのです。
後ろ髪をひく人、心残り、様々な気持ちが入りみだれ、これから先の道を想えば、このまま留まっていたいようにも感じられます。
けれども、少女は歩き出します。
残る者はただ見送ることしかできないのです。
これから踏み出そうとする世界は少女を大人へと変えていきます。
その世界を都会にたとえ、都会はまだ経験したこともない苦難を与えるのでしょう、おそらく必ず。
夢はなかなか手に入れられず、恋をして愛を知り傷つくとわかっていても…。
そして、いつか振り返えった時、彼女は今を思い出し何を感じるのでしょう?
夢や希望が多すぎて、もしそれをスーツケースに詰めたとすれば、無理矢理に押し込んでパンパンになり、ものすごく重い…。
あくまでもそれは比喩ですが、そのスーツケースは本来なら少女の運べる重さではないけれど、今の少女は軽々持ち上げニッコリ笑える余裕すら感じられます。
でも、それは余裕ではなく、それをものともせず、先に進みたい、新たな世界をもっと見たいという好奇心と欲求、そして勇気と決断の印。
若さゆえの想い力なのでしょう。
少女とは秘めた大きなパワーを持っているものです。
もしかすると現実的には身体も力も強い同年代の男子よりもずっと…。
そのパワーを表に出すか出さないか?
どんなカタチにするかは人それぞれ…。
けれど、少女なら誰でもその秘められた大きなパワーを持っているのです。
持って生まれた女性としての強さ、今までの小さな経験と自信。
止められない好奇心、若さゆえの衝動が少女を動かします。
全力でその青春という月日を想いのままに駆け抜け、持っていたエネルギーを全て使い果たす。
いつかこれまでの経験をエネルギーに変え、充電する。
ほんの束の間の休息をする頃の彼女は、どんなオトナになっているのでしょう?
その時まで「僕」はじっと息を潜めこの場で見守る…。
人生の旅の途中、もしも行き先を見失ったら戻っておいで。
今は忘れていても心のどこかに書き留めて、いつか「僕」がいることを思い出してくれたら、それでいい。
この語りをしている男性は恋人か?
仲間か?もしくは父親…
帰る場所そのものなのでしょう。
少女を愛し見守る全ての人の心の声。
サヨナラはもう一度出会えるための約束の言葉。
“いつか、また会える。いつか、戻っておいで”それがサヨナラの本当の意味。
映画「セーラー服と機関銃」のラストシーンにも薬師丸ひろ子演じる主人公の少女は雑踏の中を歩いて行きます。
まるで何事もなかったように。
それはこの歌詞にあるように、秘めたパワーに導かれ少女はオトナへの道を着実に歩いていきます。
この曲は、希望を胸に旅立っていこうとする、若きパワーを秘めた全ての少女たちへの応援歌です。
「セーラー服と機関銃」の流行った1981年(昭和56年)とは?
この年、日本だけでなく世界中の幅広い世代に注目されたのは7月29日イギリスのチャールズ皇太子とダイアナ・スペンサー嬢のご成婚。
結婚式は全世界に放映され7億5千万人以上が釘付けになりました。
プリンセス・ダイアナは世界中の注目と人気を集め、その期待を裏切ることなくダイアナ妃は世界と平和のために全力を尽くしました。
ダイアナ元妃は1997年この世を去りましたが…。
当時、チャールズ皇太子がダイアナ妃に贈ったサファイヤとダイヤモンドの婚約指輪は、息子のウイリアム王子からキャサリン妃に贈られました。
今では何かと世界を騒がす英王室ではありますが、ダイアナの意志と功績はこの指輪と共に未来の英プリンセスに代々受け継がれるのでしょう。
1981年の日本は昭和の時代、現在の上皇様が皇太子でした。
令和天皇はまだ21歳の若き“浩宮徳仁親王”でした。
この英国の皇太子の結婚式に日本国民は早くも浩宮様のご成婚と未来のお妃の姿を期待していました。
もちろん、現在の天皇陛下と雅子皇后様が出会うのは、もう少し先のお話です。
「セーラー服と機関銃」と「夢の途中」との関係は?
「セーラー服と機関銃」は作詞:来生えつこ、作曲:来生たかおの姉弟による楽曲です。
「セーラー服と機関銃」は、映画と薬師丸ひろ子のデビューのために書き下ろされた曲と思われがちです。
実はすでに映画の主題歌は来生たかおの「夢の途中」と決まっていました。
来生たかおは、ドラマ主題歌になった「Goodbye Day」でやっと一般に知られ始めた頃で、歌手としても作曲家としてもまだ駆け出しでした。
しかし、突然に「主題歌は薬師丸ひろ子で!」と楽曲だけ採用され、来生たかおは“歌手”をドタキャンされてしまいます。
芸能界において“決定”をくつがえすのは厳禁です。
同じレコード会社内でもあり得ないこと。
作詞の来生えつこは大激怒!当然です。
来生姉弟はこの映画のために試行錯誤して曲を生み出したのです。
ましてや、他ならぬ弟の来生たかおの楽曲です。
大事件に発展するところをレコード会社が「同時に異名同曲として“夢の途中”も発売し、必ず両方をヒットさせる!」と宣言して来生姉弟を説得。
もちろん、最初は薬師丸ひろ子の「セーラー服と機関銃」が注目され、その後に来生たかおの「夢の途中」もセールスを伸ばして行き、双方がロングヒット曲となりました。
異名同曲の「セーラー服と機関銃」と「夢の途中」。
実はほんの少し詞が違います。
薬師丸が唄うために変更されたそうです。
今ではもちろん、来生も薬師丸もお互い尊敬し合っているそうです。
まとめ
薬師丸ひろ子の「セーラー服と機関銃」の歌詞の意味を考察し、楽曲が発売になった経緯などを紹介しました。
薬師丸ひろ子は1978年の中学1年の時、オーディションで高倉健主演の映画『野性の証明』に抜擢され、映画デビューしました。
それから40年、今では深みのある個性派女優としてTVドラマや映画で活躍中です。
薬師丸ひろ子は、その後も主演映画『探偵物語』・『里見八犬伝』・『メイン・テーマ』・『Wの悲劇』などの主題歌も担当し、どの映画も曲も大ヒット。
楽曲提供も竹内まりや、大瀧詠一、ユーミンをはじめビッグアーティストばかり。
それも彼女の歌唱力と不思議な声の魅力がなせるものなのでしょう。
ぜひ、薬師丸ひろ子の「セーラー服と機関銃」と来生たかお「夢の途中」を聞き比べてみてください。
歌詞はわずかな違いの2曲ですが、少女と男性の声の違いで、曲のイメージがこんなにも違うとは!本当に驚きです…。
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