この記事は、八神純子「パープルタウン」の歌詞の意味を考察します。
1977年に発売されたこの曲は、ニューヨークが舞台となり、街の息遣い、人々の躍動感と葛藤を力強く歌い上げ、人気となりました。
それでは、八神純子「パープルタウン」の歌詞の意味を読み解きます。
八神純子「パープルタウン」はどんな曲
【パープルタウン】
アーティスト:八神純子
作詞: 三浦徳子
作曲:八神純子・Ray Kennedy・Jack Conrad・David Foster
リリース: 1980年7月21日(ディスコメイトレコード)
★チャート最高順位
週間2位、1980年度年間19位(オリコン)
この曲は、1980年7月にシンガーソングライター・八神純子の9枚目のシングルとしてリリースされました。
同年4月に彼女がアメリカに留学したことで直に触れた、アメリカのニューヨークが舞台となっています。
曲の構成は、前半はレイ・ケネディの「You Oughta Know By Now」の一部をベースに 、後半は八神のオリジナル、となっています。
1980年度のオリコン・シングルチャートでは年間ランキング19位、売上枚数は51.3万枚を記録しました。
八神純子「パープルタウン」の歌詞の意味を考察
アメリカの大都会・ニューヨーク。
この街では、夢と希望を捨てなければ、誰もが主人公になれます。
この歌に登場する主人公の女性もその一人です。
アパートのカーテンを勢いよく開けば、はるか向こうに広がる景色は、エンパイアステートビルを始めとする摩天楼。
窓を開けると、ひんやりとした風が吹き込み、彼女の洗いたての長い髪は、雲のようにたなびきました。
彼女が夜明けと共に目覚めるようになったのは、彼を空港で見送ってから、間もなくのことでした。
机の上の数枚の写真が、風に巻き上げられて、床に散らばりました。
一面の銀景色のなか、ぽつり、ぽつりとたたずむ合掌造りの家並み。
ー1979.11 化粧品CM撮影・銀閣寺にて。
ー1980 正月特番ロケ・新潟。
写真の余白には、こういったメモが走り書きされています。
彼が仕事の合間を縫って、ファインダーに収めた四季折々の風景は、彼女にとって、まさにおとぎ話に出てくる国のようでした。
彼女は床に舞い落ちた写真を拾いながら、彼が暮らす街に思いを馳せます。
ー今、東京はきっとトワイライトタイムね。
あなたはきっと橙色から群青にグラデーションを描く空を見ているんだわ。
不思議、海を隔ててこんなに離れているのに、私たち、同じことしてるのよ。ー
目を閉じれば、別れの朝、空港で二人、固く抱き合いながら朝日が昇りきるのを、息をひそめて見つめていた記憶が蘇ります。
そんな感傷をはぎとるように、鳴り響く車のクラクション、窓の外には、足早に雑踏を歩く人々。
鼻をくすぐるコーヒーと焼きたてのベーグルの香り。
都会に住んでいれば、涙が乾く間もないうちから、喧騒が、思い出を拭い去ってしまいます。
実際、彼女もひとたびスタジオに足を踏み入れれば、一分の隙もないモデルの顔に変ります。
農場の田舎娘だった彼女を、美しく磨き上げたのは、このニューヨークでした。
そして、年季の入った一眼レフをぶらさげた、小柄な黒い瞳の青年と恋に落ちたのも、この街だったのです。
彼女は薄紫色の封筒に、便箋を入れると、そっと口づけました。
ーこの封筒の色は、あなたが愛したニューヨークの夜明けの色よ。
この紫色を見たら思い出して。私と、この街を。ー
彼女と彼が過ごした時間は、わずか一週間に過ぎません。
しかし、彼は、短い滞在時間の1秒1分を惜しむように拙い英語で、彼女に、ありったけの愛を伝えてくれました。
「きっと東京に帰っても、僕はニューヨークでの日々を思い出すたび、君の顔を思い浮かべるだろう。僕にとってのニューヨークは、君そのものなんだよ」
一方、彼女が、彼について知っていることはごく僅かです。
彼は、あまり自分のことを話す人ではありませんでした。
そんな彼が愛してやまないもの。
それは、カメラマンを志すきっかけを作った、父の形見の一眼レフ。
長年愛用しているサーフボードと湘南の海。
そして、薄青く、ほの白い夜明けの街を散歩すること。
「夜明けの街を歩くなんて、マンハッタンじゃ考えられないわ!
家族連れで賑わうセントラルパークだって、昼と夜とじゃ、がらりと表情を変えるもの」
「それだけ、東京は、まだまだ平和なんだよ。
青い空に丸い月が白んで見えるのさ、幻想的だろ?
月の兎たちは、これから眠りにつくんだ」
「この街の夜明けだって、充分に美しいわよ。
ねえ、いつか、あなたが手掛けた広告が見たいわ。その時の女優は私よ」
「それはいいな、紫色にけむる摩天楼をバックに、君はプラチナのダイヤモンドを身に着けてフィフスアベニューを闊歩するんだ。
朝日に輝くダイヤモンドと君。最高のCMになるぞ!」
しかし、その夢が叶うことはありませんでした。
時は1970年代後半、彼にとって二ューヨークは、まだまだ遠い異国の街だったのです。
それでも、空港までやってきた彼女は、こう言わずにはいられませんでした。
「ここなら、チャンスを掴む勇気があれば、何だってできるわ!
そして、そのファインダーに、ありのままのニューヨークを写してほしいの。
いつか私をモデルにもう一度、CMを撮ってくれるんでしょ…」
彼はそっと彼女の唇に人差し指をあてました。
悲し気な微笑みを浮かべていました。
彼女も本当は分かっているのです。
海を隔てれば、お互い別々の明日が待っていることを。
彼女は、無名のモデル。
そして彼も無名のカメラマン。
お互いがかつて抱いた夢とは、大きくかけ離れた日々です。
それでも、新しい朝を迎えるたびに彼女は、こう思わずにはいられないのです。
ーきっと今日はいいことが待っているわ。それは思いもかけない大きなチャンスよ。
だって、ここはニューヨークだもの。ー
そう思うと、悲しみや寂しさに涙を流した翌朝でも、まるで背中に羽が生えたように気持ちが軽やかになるのです。
ー待ってて。必ず、あなたのもとへ戻るわ。
どこにいたって、必ず戻るわ。ー
そして今日も、新しい朝が訪れるたびに、彼女は真新しい自分に生まれ変わる気がするのです。
まとめ
八神純子「パープルタウン」の歌詞の意味を考察しました。
主人公の女性は、ニューヨークにいます。
大都会の空が紫色に染まる夜明け。
彼女は素敵な朝を迎え、ワクワクした気持ちに満ちています。
この地でやりたいことを成し遂げる。
日本にいる彼には近況をエアメールで送るつもり。
ニューヨークの紫色の夜明けは彼への想いを呼び覚ましてくれますが…。
明日は明日の風が吹くようです。
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