中島みゆき「時代」の歌詞の意味を考察!やさしい愛情で人生を見守る

昭和歌謡
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この記事は、 中島みゆき「時代」の歌詞の意味を考察します。

1975年に発売されたこの曲は、彼女の代表曲のひとつです。

時を経て今でも、老若男女を問わず多くの人々に聴き続けられています。

それでは、中島みゆき「時代」の歌詞の意味を読み解きましょう。

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中島みゆき「時代」はどんな曲

【時代】

アーティスト:中島みゆき

作詞・作曲:中島みゆき

リリース: 1975年12月21日(キャニオン・レコード)

★チャート最高順位
週間14位、1976年度年間88位(オリコン)

「時代」は1975年10月のヤマハ『第10回ポピュラーソングコンテスト』のグランプリ受賞曲です。

1975年12月に中島みゆきの2枚目のシングルとして発売されました。

作詞・作曲はシンガーソングライターである彼女自身が手がけました。

 

「時代」は彼女の代表曲のひとつであるとともに、多くの歌手にもカバーされています。

また、学校の卒業式の定番の曲としても歌い継がれ、音楽の教科書にも掲載されています。

 

中島みゆき「時代」の歌詞の意味を考察

中島みゆきの手掛ける歌詞には、男女の駆け引きにありがちな湿っぽさや、せせこましさがありません。

肌ざわりが粗く、骨太であり、なおかつ赤土の匂いがするような温かさに満ちています。

彼女自身が人間そのものに関心が強く、それゆえに、人の世の無常というものを、我がこととして重く受け止めているのでしょう。

 

さて、人生とは、無限に続く螺旋(らせん)階段のようなものです。

階段の行きつく果ては何でしょうか。

病み、傷ついた魂の救済でしょうか。

死という名の、永久の安らぎでしょうか。

 

しかしこの歌詞を読む限り、有象無象を消し去った無の世界、光り輝く楽園の世界で幕を閉じることはなさそうです。

 

「ああ、やっと頂上まで上り詰めたぞ」

そう思って後ろを振り返れば、まだまだお釈迦様の手の中。

人は失意のなかで赤子に生まれ変わり、全てを忘れてまた、螺旋を登り続けるのかもしれません。

 

ところで、生まれてから成人するまでの18年と、18歳から年老いた老人になるまでの体感時間は、ほぼ一緒だそうです。

特に壮年期に差し掛かってからの、時の流れの早さにはそら恐ろしさすら覚えます。

 

唯一の救いは、死というものに対して、余計な恐れを持たずに、いずれはわが身に訪れるものとして、諦観をもって受け入れられるようになることでしょう。

 

この歌の主人公は、涙を絞っても一滴も出ないほどの、絶望の淵にいます。

彼の身にどのような不幸がふりかかったのか、あなたは知る由もありません。

しかし、この歌が、これほどまでに私たちの心を打つのは、誰もが主人公になりえる歌だからです。

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歳をとる、ということは負の遺産を積み重ねていくことでもあります。

思い出すだけで喉がひりつき、膝が震えるような過去。

 

「いつか笑って受け流せるようになる」と人は言うけれど…。

そういうものでしょうか。

 

一生癒えない傷跡も、何十年経っても、しくしくと忘れたころに痛み出す古傷も、生きていればつきものです。

それでも、私たちは、いつか後世に生きる者へ、笑って話せるようになることを願ってやまないのです。

少なくとも、この血が滴るような鋭い痛みは、自分の肉体が朽ち果てるときには、ほろ苦くも懐かしい思い出になればいい。

 

この歌詞の「まわる」という単語には、輪廻転生の価値観のほか、ぐるぐるとまわる人生のらせん階段。

時が変わっても同じ過ちを繰り返す、変わることのない人間の感情といった、複数の意味がこめられているような気がします。

 

ここに書かれた「故郷」とは、心の安寧の地でしょうか。

「生まれ落ちた赤ん坊は、この世の悲しみ、寂しさ、ままならないもの。それらが再び自分の身に降りかかることを予感して、涙を流すのだ」という説があります。

 

鮭が生まれた川へと遡上するように…。

この世に生まれ落ちたその日から、私たちが永遠に手に入れることのない蜃気楼ともいえる安寧の地へ、歩みを進めるのはまさに自然の理(ことわり)といって良いでしょう。

 

それでも彼岸を穏やかで平和な安寧(あんねい)の地に例えるならば、この世は修羅の道です。

かつて宮沢賢治が、兄弟たちが歩む、涅槃(ねはん)までの過酷な道のりを書いた「光の素足」という作品がありました。

この歌に見える風景も共通するものがあります。

中島みゆきの詩から浮かぶものは、遥か地平線が見渡せる、広い広い荒野です。

冷たい風が吹きすさび、雨粒が叩きつける中、旅人は身を縮め、ぼろ布をきつく体に巻きつけて、一歩一歩、足取りを進めます。

目を凝らせば、先人の躯(むくろ)があちこちに散らばっているのが分かります。

旅人はそっと手を合わせ、祈りの言葉を呟きます。

 

今、力尽きて躯になり果てても、いつかまたこの世に生を受け、愛した人と巡り合い、ささやかな幸せを見つけられるように。

あの世とこの世を結ぶドアは、必ず再び、あなたの前に現れるはずだ。

この世がどれだけ不条理で、絶望に満ちた、暗い雨降る世界でも、ドアを開けて、もう一度この世界に帰っておいで。

 

やがて雨は止み、大地は乾き、北風が骨をからからと鳴らし始めました。

旅人は大きく深呼吸すると、また歩みを進めます。

いつか俺が朽ち果てた後、新しい旅人が俺の屍を超えてゆくのだろうか。

 

彼らに俺は何を残せるだろう。

せめて俺の躯(むくろ)で足を止めるなら、俺の見てきたものを語ってやろう。

お前の知らない、俺の生きてきた時代を…。

 

俺の体が骨になるころには、遠い昔の笑い話になるだろうさ。

俺もお前も、時代も、ぐるぐると永遠に回っていくんだ。

 

こうして先人が、私たちが生きた時代は絶えることなく、後世に継がれていくのです。

 

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まとめ

中島みゆき「時代」の歌詞の意味を考察しました。

彼女が手がけた歌詞を通じて、人生を俯瞰的に見ながらもベースにはやさしい愛情が感じられます。

 

この歌詞の主人公のように、誰でもこの世に生を受ければ辛いことも経験することでしょう。

時には自分に嫌気がさして自暴自棄になってしまうこともあるかもしれません。

 

歌詞のキーワードにもなっている「まわるまわるよ」「めくるめくるよ」というフレーズ。

『いつまでも悪いことは続かない、人生は悪い時もあればよい時もあるよ…』と中島みゆきが語りかけてくれるようで、ふと心が軽くなるように感じます。

 

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