この記事は、中森明菜「難破船」の歌詞の意味を考察します。
加藤登紀子が楽曲を提供して、1987年に発売されたこの曲は、彼女の圧倒的な歌唱力と表現される世界観で人々を魅了しました。
それでは、中森明菜「難破船」の歌詞の意味を読み解いていきましよう。
中森明菜「難破船」はどんな曲
【難破船】
アーティスト:中森明菜
作詞・作曲:加藤登紀子
リリース: 1987年9月30日(ワーナー・パイオニア)
★チャート最高順位
週間1位、1987年度年間6位(オリコン)
「難破船」は、1987年9月に中森明菜の19枚目のシングルとして発売されました。
元々は1984年に加藤登紀子が出したアルバム「最後のダンスパーティー」に収録されていた曲です。
この曲は加藤登紀子の自身の恋愛を書いたものですが、中森明菜のイメージに合うと思い楽曲を提供。
1987年度のオリコン・シングルチャートでは年間ランキング6位、売上枚数は30.4万枚を記録しました。
中森明菜「難破船」の歌詞の意味を考察
失恋を難破船に例えたこの曲ですが、まずは難破船とは何なのでしょうか。
辞書を見ると、暴風雨などにより船が破損、座礁、沈没すること、とあります。
失恋を船に例える加藤登紀子の歌詞のセンスは素晴らしいですね。
恋人との愛をを諦めなくてはいけない、でも諦めきれない。
自分でもコントロール出来ない心を事故でコントロールを失ってしまった船に、船が壊れてしまう事を自分の心が失恋で壊れてしまった事に、例えています。
広い海で沈んでしまうかもしれない船・・。
孤独とどうしようもない絶望感があります。
失恋した直後もまた、孤独と救われることの無い寂しさを感じてしまいますね。
違う恋を探そうとしても心の整理がつかないままでは辛いままです。
恋人は自分ではない誰かを愛してしまった、と書かれています。
その恋人に自ら身を引き、別れを告げたものの寂しさと恋しさで葛藤する様子が書かれています。
先程コントロールを失った船と自分の心を例えていると書きました。
どこへ向かうか分からない船は風や潮の流れに身を任せるしかありません。
自分の心は別れを告げても未練が残っているこの愛は、本当は会って抱きしめたい。
また、「あなたを海に沈めたい」という歌詞からはあなたの愛を独り占めしたい、という想いが込められていると思われます。
自分を難破船に例えた歌詞。
自分は恋人と別れたことで傷つき、心が沈んでしまいそうに辛い。
寂しさから抜け出せない。そんな事は恋人は知らないだろう。
歌詞にあるつむじ風とは前ぶれなく突然発生する渦を巻いて吹き上がる風です。
そして、穏やかに晴れている時にしか発生しないそうです。
このことから恋人に未練があるものの会ってはいけないのは分かっているのでしょう。
そして、つむじ風という偶然にまかせてしまえば「おろかだと笑われても」、恋人に逢ってしまっても良いのではないか。と考えているのでは無いでしょうか。
穏やかに晴れている時という条件が揃わないと発生しないつむじ風が吹くことを期待しているということからそんな事はおこらないだろう、と思っているようです。
(逢うはずのない)この街を夜1人歩くその姿は新たな恋を探そうとしているのか、偶然にも恋人に逢う事を求めているのか。
書かれていませんが、まるで起こらないことを期待しているような行動です。
未練があるからこそ、もしかしたら逢えるかもしれないという気持ちがあるのでしょう。
声をかける人もなく、恋人が居ないという事はこんなにも寂しく孤独なものだったか。と書かれています。
恋人がいる時は友人も大切にしているつもりでも、やはり恋人優先になりがちです。
この歌詞から伝わるのは恋人にかなり依存していたのではないかという事です。
そんな純粋すぎる愛に、恋人はもしかすると、少し愛が重いと感じていたかもしれません。
別れる事になってしまったのもそのあたりが理由なのかもしれませんね。
依存してしまった彼女にとっては相当な傷と孤独を感じてしまったのだと思います。
このように失恋してしまった心は自分では無い他の人を好きになった恋人に別れを告げても、それでも愛していて、逢いたいという行動を取ってしまう。
頭では分かっていても心がついてこない・・。
まさに船の梶が効かなくなってしまった船そのものでした。
広い海でコントロールが効かずいつ沈んでしまうか分からない船の孤独と不安さを失恋の孤独と未練に例えることも心の不安定さを強調するものでしたね。
そうした不安定な切ない想いを抜群の歌唱力をもって唄いあげることでこの曲は人気となったわけですが、本当に素晴らしいと思います。
まとめ
中森明菜「難破船」の歌詞の意味を考察しました。
主人公の女性が恋人と別れたことによるどうしようもない孤独と絶望感。
それを嵐や事故などでコントロールを失った難破船に例えて、心情が歌詞に綴られます。
この曲の作詞・作曲の加藤登紀子が中森明菜に合うと思って提供されただけあって、彼女が完璧なまでに唄いあげるのが素晴らしく、聴くたびに聞きほれてしまいます。
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