この記事は、杉山清貴&オメガトライブ「ふたりの夏物語」の歌詞の意味を考察します。
このグループは杉山清貴をボーカルとしたバンドで夏や海、リゾートをテーマにした曲で1980年代中頃に人気を博しました。
それでは、「ふたりの夏物語」の歌詞の意味を読み解きます。
杉山清貴&オメガトライブ「ふたりの夏物語」はどんな曲
【ふたりの夏物語】
アーティスト:杉山清貴&オメガトライブ
作詞:康珍化
作曲・編曲: 林哲司
リリース: 1985年3月6日(バップ)
★チャート最高順位
週間5位(オリコン)、1985年度年間15位(オリコン)
杉山清貴&オメガトライブは1983年4月に「SUMMER SUSPITICION」でデビューしました。
「ふたりの夏物語」は、1985年3月に彼らの5枚目のシングルとして発売され、シングル販売枚数は36.7万枚(オリコン)のヒットとなりました。
また、この曲は同年の日本航空「JALPAK’85」コマーシャルソングに採用されました。
1985年度のオリコン・シングルチャートでは年間ランキング15位、販売枚数は36.7万枚となりました。
杉山清貴&オメガドライブ「ふたりの夏物語」の 歌詞の意味を考察
「ふたりの夏物語」はタイトルが示すように、ひと夏の戯れを切り取ったポートレートとなっています。
夜空を彩るペルセウス流星群とヨットハーバー、日焼けの痕のように、きれいさっぱり消える恋を楽しむには、絶好のロケーションです。
打ち寄せる波に、跡形もなく消されてしまうメッセージも、ゆきずりの恋を象徴しています。
今宵の恋人が口にしたキールは、白ワインに少量の黒すぐりのリキュールを加えて作る食前酒です。
二人の間に生まれた感情をカクテルに例えるなら、爽やかで甘酸っぱく、ほんのり酔わせてくれる、華やかなルビー色のキールがよく似合います。
しかし、口あたりの良さにはご用心。
甘く美味しいカクテルには、テキーラサンライズ、アレキサンダーといったように『レディキラー』の名を持つものも少なくありません。
アルコール度数の低いキールも、飲みすぎれば同様のこと。
どうやら朝の光がハーバーを照らしても、二人の酔いは、さめやらぬようです。
彼の視線の先にある、ディンギーヨットの白い帆は、潮風に吹かれて気ままに揺れています。
何にも縛られず、気ままに愛しあう関係は、裏をかえせば、信頼や愛情に繋ぎとめる錨が無く、いつ沖に流されても仕方ない状況と言えます。
昨夜、始めて彼女を抱いた時、彼女の顔から微笑みが消え、大粒の涙が頬を転がり落ちました。
港を訪れたのも、傷心を癒すためだったのかもしれません。
人肌の温もりは、孤独を芯からは癒せなくても、刹那的な慰めにはなります。
今までもそうして、束の間の恋に身をゆだねることで、心の隙間を埋めてきたのかもしれません。
彼も逢瀬を重ねるうちに、薄々そのことを感じ取っていたのでしょう。
もしかすると、彼も同じことをしてきたから、今の彼女の気持ちが、手に取るように分かるのかもしれません。
そう考えると「離さないで」つい聞き流してしまうような、この短い一言に重い意味が込められているのがわかります。
私だけを真剣に愛して。
これからもずっと愛して。
でも、きっと私の想いには応えてくれないわよね。
あなたは私と同じだもの。
この思いがほんのひとときの、気まぐれな情熱だって、あなたは知っている人よ。
もうすぐ訪れる新しい季節のように、愛は移ろうものだって、わかってる人よ。
だから、今だけは私を離さないで。
愛された記憶があれば、あなたを失っても平気でいられるわ。
やがて、夏が終わり、木の葉が色づき始める季節がやってきました。
やはり、彼の隣に彼女の姿はありません。
襟無しのシャツという小物が、深まる秋を表現する季語として効果的に働いています。
糊のきいた真新しいシャツに着替えても、心まで新たな装いに、着替えることはできません。
彼は、彼女のことを、波しぶきを浴びて輝く、美しい人魚に例えていました。
しかし、この曲が書かれた時代背景を考えると、彼もまた退廃(デカダンス)の海を泳ぐ人魚のように思えてきます。
アクリル絵の具のようにどこまでもクリアなカラーで彩られた世界観はまばゆく、爽快なものですがそれがある種のヴァーチャルなものであることを、現代の私たちは知っています。
私たちだけではなく、この歌に出てくる彼らも、未来のヴィジョンが描けないことに気づいていたのかもしれません。
その不安を薙ぎ払うかのように、彼らは「今」を謳歌します。
やがて再び訪れたビーチは、夏の喧騒が嘘のように静まり返り、遠く高い空がどこまでも広がるばかりです。
まとめ
杉山清貴&オメガドライブ「ふたりの夏物語」の 歌詞の意味を考察しました。
杉山の爽やかでクリアなハイトーンは、真夏の照りつける太陽よりも、夜風の心地よい晩夏の趣があります。
オメガトライブというプロジェクトが発足した80年代前半。
70年代後半に流行のニューミュージックの流れを受け継ぎ、洗練されたメロディ展開、16ビートなど、新しいサウンドやリズムを重視した名曲が生まれた時代でもあります。
歌詞も『都会的』をキーワードに、小洒落たモチーフをスパンコールのように縫いつけた、心浮き立つようなアヴァンチュールが、そこここで誕生しました。
オメガトライブは1986年、リードヴォーカルを杉山清貴からカルロストシキに変更しましたが、爽やかなサマーチューンといった路線は変わりませんでした。
甘い声に大人の余裕を感じさせる杉山と、どこか少年らしい青さを残すカルロスの歌声は、甲乙つけがたい魅力があります。
後の代表曲のタイトルに使われたように、オメガトライブの一番の魅力は、わずかなくすみも感じさせないアクアマリンのような、限りない透明感にあるのかもしれません・・。
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